中山道を歩く

2007年05月11日(金) ~2007年05月30日(水)
総歩数:840178歩 総距離:571km

2007年05月27日(日)

加納~河渡~美江寺~赤坂~垂井~関が原

                                    晴れ

 7時に出発。ホテルが岐阜駅の北側だったので15分ほど歩いて中山道に合流する。住宅街を歩くが日曜日の朝ということもあってか、所々で町内の方が総出で清掃をしている姿が目に付いた。
 8時15分長良川に架かっている河渡橋を渡る。川幅は広く水量も豊かだ。東海道を歩いた時、宮の渡しで河口堰を見たことを思い出し、自然は大切にしたいものだと思った。
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 橋を渡り左折していくと河渡宿がある。
8時33分河渡宿を通る。ここは愛染堂という馬頭観音堂があったのでここでカウントする。
 加納宿から1時間18分、9767歩。
FH010005-1
 ここから道に沿って右側に進むと本田代官所跡がある。ここには幕府直轄地で代官所が置かれていたのだが、明和7年(1770年)以後は大垣藩預けになった。今も代官跡、牢屋敷跡というような地所が残っていると説明書きがあった。
 五六川に架かる五六橋を渡る。美江寺宿は江戸から五十六番目の宿場にあたることからこの名前がついたという。
 美江寺一里塚跡を右手に見ながら進み、美江神社のところから左折すると庄屋だった和田家が右手にある。
 9時50分美江寺本陣跡を通る。
 河渡宿から1時間17分、7273歩。
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 このあたりは道しるべが多くあり、歩いていて非常に助かる。大げさな標識ではなく、写真のように赤いテープを道端のガードレール等に貼っているのだが、これがかなり頻繁に貼ってありとても役に立つのである。単にテープを張っているだけなのでそんなに前に張ったとは思えない。だれがいつ張ったのだろう。四国を歩いてときもこのような道しるべが頻繁にあったことを思い出す。こうしたものがもう少し密にあれば道案内の地図など特になくてもこれを頼りに歩くことができるのになと思った。
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 揖斐川に差し掛かる。土手の下の道に沿って歩いてきたが、鷲田橋を渡る車道の土手に突き当たるため、一旦左折し、車道をくぐるガードを右折して車道の向こう側に出る。そこから車道の横にある歩道に出ることができたのでそれを歩く。
 この川も大きな川だ。橋を渡って左折し更に右折して進むと呂久橋があり、これを渡って平野井川に沿って土手道を歩く。ここでまた道に迷ってしまった。しばらくウロウロしているとコンビニがあったのでそこに入ってアイスクリームを買いながら道を尋ねると、最近このあたりは新しい道ができてわかりにくくなっており、迷う人が多いということだった。教えられたとおり平野井川に沿った道に戻って直進し、車道をくぐるガードを通っていくと「中山道三回り半」という道標が見つかったので、これを斜め左に入って行く。右手に岐阜経済大学が見える。
 今日は天気はいいのだが風が強く遠くは黄砂で霞んで見える。和田峠を越えたときの強風を思い出す。
 12時15分赤坂宿を通る。
 美江寺宿から2時間25分、15437歩。
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 この本陣あたりは古い家並みが続いており、昔を偲ばせるものがある。
 ここで昼食にしようと思ったが食堂が見当たらない。近くにいた人に尋ねると宿場のはずれのほうにあるというので、そのまま歩き続けていると一軒の食堂があったので、そこに入って昼食をとる。店のご主人から今日はどこからどこまで歩くのかと聞かれる。格好を見て歩いていると思ったのだろう。中山道を歩いている人たちがよく利用される店なのだろう。
 この店をでて少し行ったところで盛んに写真を撮っている男性に出会う。「歩かれているのですか」と聞くとそうだという。この男性とはこの日同じ宿に泊まることになる。

 13時58分垂井宿本陣跡を通る。
 赤坂宿から1時間43分、8200歩。
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 垂井宿ではボランティアで運営をしているという観光案内所があったので入って話をする。行政は口だけ出して現実は何もしてくれないという元気のいいおばちゃんがいて話が弾み、楽しかった。
 ここを出たところで京都から歩いているという方と出会う。今日、中山道を歩いている人と出会ったのは私で三人目だといわれていた。日本橋から京都へ向かう人のほうが多いようだともいわれていた。その方は京都から歩いていて今日で四日目で今日は赤坂宿まで行くと言われていた。

 垂井の一里塚は南塚のみが残っており、関が原の合戦のときはこのあたりは浅野長政の嫡男だった浅野幸長の陣の跡とある。浅野家は五奉行の一人だったが、石田三成と合わず東軍に参加していたと説明されていた。更に行くと山之内一豊が布陣していた場所がある。いよいよ関が原合戦のあった場所にきたのだという思いを強くする。国道21号線の向こう側には徳川家康が最初に布陣した桃配山があった。桃配山は壬申の乱のとき、大海人皇子が布陣し、この地の桃を部下に配ったことで士気大いに高揚して大勝利を得たという地で、家康もその古事に倣ってここに布陣をしたということだ。
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 今日の宿は中山道沿いにあったので、とりあえず荷物を置いて一息入れ、その後、関が原本陣跡へ行く。JR関が原駅から中山道を直角に横切る形で伊勢街道がある。関が原合戦の後、島津義弘がここを通って窮地を脱したことで有名だ。
 少し先に当時本陣の庭の一角にあったというスタジイの木がありこれが本陣跡だ。
15時53分関が原本陣跡に来る。
垂井宿から1時間55分、8845歩。

 「東首塚」がある。ここは家康が首実検を行い、埋葬した場所だ。生々しい名称で余り気持ちのいいところではない。
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 そこから少し行ったところに関が原歴史資料館があり、入って合戦の様子を見物する。解説は非常にわかりやすくできていた。
 資料館のすぐ横に家康の合戦最後の陣地がありこれを見て16時50分宿に帰る。小高い山に囲まれた関が原。周囲を見渡しながら合戦の様子に思いをめぐらす。
 赤坂宿で出会った人は途中で道に迷ったそうで、大分遅れて宿に到着する。道に迷うのは自分だけではなかったと妙なところで安心する。
 この宿は食事はそれぞれの部屋でするためその後会話することもなく終わる。

本日の歩行時間 9時間50分
本日の歩数&距離 52103歩(約35.4km)

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