東海道を歩く

2007年03月13日(火) ~2007年03月30日(金)
総歩数:756832歩 総距離:514km

2007年03月26日(月)

前後駅~鳴海~一宮~桑名~四日市

                                    晴れ

 7時10分にホテルを出て昨日歩いた豊明駅まで行くつもりで電車に乗ったのだが、乗った電車が急行で豊明駅を通過してしまい、次の前後駅まで行ってしまった。たいした距離ではないと思ったので引き返そうかと思ったのだが、逆にたいした距離ではないのでこのまま先に進もうという気持ちになってしまった。  あとで調べるとこの間の距離は2km未満。もう少し注意をすればよかった。結局7時40分前後駅から歩き始める。
 8時10分 「桶狭間古戦場」という看板が出ている。旧東海道からわずか100m程入ったところだ。考えてみれば街道を行軍してきて休憩を取ったのだから、街道沿いで納得がいく。ただこれまで桶狭間は狭い谷間にあって、大勢の今川軍が細長く滞在をしていたので、少数の織田信長はその本陣だけをめがけて一気に坂を下り降りて今川義元を討ち取ったという具合に理解をしていたので、もう少し山間部にあるとばかり思い込んでいた。 永禄3年(1560年)に起きたことだから、あれから450年近く経っており、このあたりの状況は変化して当たり前なのだが、なんとなく今でも山間の場所を勝手に想像していた自分が滑稽に思えてきた。
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 向かいのちょっとした高台に高徳院がある。ここは今川義元やその武将を祀っており、徳川家康はここを通るたびに参拝をしたそうだ。

有松を通る。有松絞りで有名なところで知立と鳴海の間の宿があった。ここの街並みは昔の面影を色濃く残しており、家屋も昔を偲ばせる造りの家が並んでいる。市の街並み保存地区に指定をされている。こういう落ち着いた雰囲気の街並みはなんとなく心を落ち着かせるものがあって私は好きだ。
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 9時9分鳴海宿本陣跡を通る。
 知立から2時間44分 16839歩。

 誓願寺がある。ここにある芭蕉の供養塔は元禄7年(1694年)芭蕉が亡くなった翌月の命日に建てられたもので、芭蕉の供養塔では最も古いものだそうだ。
 10時に笠寺一里塚を通る。片側しか残っていないが大きな榎が立っている。根が塚の上まではみ出しているという感じで生命力の強さを感じさせる。江戸から八十八里目の一里塚だ。
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 笠覆寺がある。鳴海長者の下女が、この寺が荒れ、観音様が雨ざらしになっていたので笠を被せた。このやさしさが縁で藤原兼平がこの長者の家に泊まったとき、この娘を見初め、自らの妻としたそうだ。このことから縁結びの祈願で今でも賑わっているそうだ。ここには宮本武蔵の供養碑がある。
11時24分宮宿に着く。
鳴海から2時間15分 9975歩。

 名鉄の新安城で人身事故があったということで途中の踏切で15分以遮断機が上がらずイライラ。人も車も長い列ができていた。
 「宮から七里の渡し」まですぐ近く。昔はここから桑名の渡しまで七里の海上を船で渡っていたのだ。渡し場はきれいに整備されていたが、当然のことながら現在は渡し舟はない。もっとも後で、依頼すれば船を出してくれるという話も耳にしたが定かではない。
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 実は、ここから桑名までどうして移動するかということに関してよく調べることができないままにここまできてしまったのだ。他の方のHPを読んでも良くわからなかったため、なんとなくまぁ何とかなるだろうというようないい加減な状態でここまできてしまったのだ。さて、どうしようかと思っているとちょうどうまい具合にタクシーが来た。現代の渡し船だ!と解釈して乗り込み、桑名の渡しまで行くにはどうすればいいか聞くと、名古屋駅まで名鉄で行き、JR関西線に乗って桑名に行きそこからタクシーに乗ればどうですかと言われる。旅先で何も情報を持っていない私としては運転手さんの言うとおりに行動するしかない。タクシーで名鉄神宮前まで行ったが、七里の渡しからすぐ近くだった。車を降りると「熱田神宮」の前である。急遽参拝を思い立ち境内に入る。大きな神社だ。
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 本殿まで進み参拝をした後、名鉄に乗って名古屋駅まで出る。
 12時に名古屋駅に到着。JR関西線の時刻を調べると12時30分発があることがわかったので、とりあえず昼食を食べて出発する。12時48分桑名駅に着きここからタクシーに乗り13時丁度に桑名の七里の渡しに到着する。
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ここから再び歩き始める。これは後で聞いた話なのだが、旧東海道を歩く人は国道を歩いて桑名まで来られる人が多いということだった。
 移動の途中で金山駅を通る。ここは以前会社の営業所があった場所だ。今は廃止していてなくなっているが、なんとも懐かしい思いが沸き起こってくる。
 桑名の渡しからは長良川の河口堰がすぐ前に見える。なんとも異様で醜悪な姿だ。随分物議をかもした河口堰だが果たして後世にどのような評価が出るのだろうか。
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 海蔵寺がある。ここは木曾三川の治水工事を幕府から命ぜられた薩摩藩が大変な労苦を重ねてこの難工事を完成させる。数多くの犠牲者を出し、多額の経費を掛けての工事だったため、責任者だった奉行の平田靭負は完成後切腹をしてしまう。もともとこの工事は幕府が薩摩藩の力を弱めるために行った指示のため、この近くのお寺は幕府を気にして悉く埋葬を断ったがこの海蔵寺だけが埋葬に応じたということだ。
左手に桑名城址を見ながら進む。

 16時46分 四日市宿に到着。
 桑名から3時間46分 21529歩。

 ここで今日のホテルの場所がわからずいつものようにウロウロする。ホテルに電話をし、教えられたとおりに行くが見つからない。おかしいなと思って再度電話をすると、最初私が電話をした場所をホテルの人が間違って受け取っていて、したがって教えられたホテルまでの道が違っていたのだ。そこから改めて探して行き、何とかホテルに到着することができた。ヤレヤレ。

本日の歩行時間 9時間6分(JRでの移動時間も含む)
本日の歩数&距離 45396歩(約30.9km)

*なお、地図は後で書き加えたものなので、名古屋から桑名に関しては、国道を道順として表示しております。*

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