東海道を歩く

2007年03月13日(火) ~2007年03月30日(金)
総歩数:756832歩 総距離:514km

2007年03月29日(木)

水口~石部~草津~瀬田

                                    晴れ

 朝出発するときに宿の若夫婦とお互いに写真を取り合う。お二人は私の写真を宿の壁に貼るため、私はお二人を私のHPに掲載するためだ。
P3210148-1
 出発に際しおにぎりを頂く。昨夜話をした中で四国を歩いたときのお接待の話を参考にされたのか、あるいはいつもこうされているのか聞き忘れたが、とてもうれしいことだった。水口宿「あや乃」記憶に残る宿だった。
 7時に出発する。今日の予報では夕方から雨ということだったので、降り始める前に少しでも先に進んでおきたいと思い先を急ぐ。
 北脇縄手と呼ばれるところに出る。ここから4km程がまっすぐな直線道路になっている。「縄手とは田の中の道のことで東海道の整備に伴い、曲がりくねっていた旧伊勢大路を廃し見通しの良い道路にしたことにちなんでおり、街道は近隣の村々に掃除場所が割り当てられていて美しさが保たれていた」と書かれた説明書があった。
P3210150-1
 横田渡跡常夜燈がある。文政5年(1808年)に作られたもので高さが10.5mもある大きなものだ。野州川は当時横田川と呼ばれていたそうだ。
 弘法杉が堤上にある。樹齢700年という大きな杉の木だ。弘法大師がここで昼食を食べ、使った杉箸を突き刺したところ根付いたので村人が植え替えたといわれている。
 家棟川、落合川と渡るとやがて石部宿にはいる。

 10時27分 石部宿本陣跡を通る。
 水口宿から3時間7分 20036歩。
 石部宿はランプを思わせるような街灯を道の両側にズラッと立てている。夜になるとこの街灯が明るく宿場街を照らすのだろう。色々と趣向を凝らしている。
P3210151-1
 この頃から雨がポツポツと落ちだしてきたが、結局そのままたいした降りにならずに一日が終わる。助かった。
 石部を出てしばらく行くと、上道と下道に分かれている場所に出る。初期の東海道は野洲川沿い(下道)だったが、たびたび洪水に襲われたため、天和三年(1683年)に上道が開設されたそうだ。約1kmほど上道のほうが遠回りになっている。今回は下道を歩く。
 昼過ぎに道に沿って神社があったので、その境内に入り宿で頂いたおにぎりを食べる。おにぎりは特大。そしてこうした場所で食べるおにぎりは特別おいしかった。
 栗東市を通る。嘉田知事が「もったいない」をキーワードにして当選し、新幹線の栗東駅を設置するかどうかでもめているところだ。道のいたるところに「もったいない」というビラが張っている。私もこの知事の考えにはもろ手を挙げて賛成する。もうハコモノを次々と作る時代ではないと思う。
 このあたりは特記するものもなく(・・・と自分で勝手に定義している)相当に疲れており、色々と見る余裕もなくなってきて満足に写真も取っていない。ただひたすら前へ進むのみの一日だった。
 13時42分 草津宿に着く。
 石部宿から3時間15分 16902歩。

ここは東海道と中山道の追分、分岐点だ。「左中仙道、右東海道」と刻まれた大きな常夜燈が立っている。
いずれ中仙道を歩くときにもここを通ることになるだろう。P3210152-1
 このとき撮った田中本陣跡の写真の写りが悪かったので、中山道を歩いたときに再度撮影をし、それをここに掲載します。東海道を歩いたときは晴れていたのですが、中山道のときは雨。傘を持って立っている人が写っているのはそういう理由によるものです。
FH020001-1K

 15時41分 瀬田の唐橋を渡る。
「近江舞子の波高らかにぃ~瀬田の唐橋渡りゆくぅ~♪」という歌が学校にあり、学生時代よく歌ったものだ。今でもOB会で皆で歌う定番になっている。
P3210154-1
 16時10分石山駅近くのホテルに到着。
 幸いに雨は降っておらず、まだ時間も早いし、明日はいよいよ最終日。しかも朝のうち雨という予報も出ているので、疲れてはいるがあえて荷物を置いて少し先まで歩くことにする。
 16時30分にホテルを出て石山駅、関西日本電気の工場を左に見ながら歩いていくと、若宮八幡神社があり、膳所城の城門を移設したといわれる篠津神社がある。
 更に行くと左手に膳所神社があり右手は膳所城址だ。ここに京阪電鉄の膳所本町があったので17時20分京阪電車でホテルまで帰る。
 結局今日は今回の旅で最高の歩数を記録した。ラストスパートだがさすがにくたびれた。

本日の歩行時間 10時間
本日の歩数&距離 54158歩(約36.8km)

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん