長い間、自粛生活を続けてきましたが、コロナ禍が一段落しているため、久しぶりに歩いてきました。
今回は丸亀、宇多津、多度津、高松のそれぞれから金毘羅宮へ向かう参詣道を歩きました。
四国遍路は過去に二回歩きましたが、遍路には金毘羅宮は含まれていなかったので、いつかは歩きたいと思っていました。とにかく久しぶりだったので体力的な不安もあったのですが、無事歩き終えることができてよかったです。

 この二つの街道は参勤交代に使われた街道ではなくて、生活道路として使われていた道で、そのため街道独自の道標等はありませんでしたが、遍路道や金毘羅参詣道と重なる部分が多く、それらの道標は沿道に数多く存在していました。

この街道は保存会があるようで、その方々の努力もあって、随所に標識があり、わかりやすい街道でした。
ただいかんせん山の中の街道の為、アクセスが極端に悪く、また、宿も少なくてスケジュール作成にかなり苦心しました。

 脇往還や別街道という呼び方で準街道のような感じを受けますが、いずれの街道も江戸時代には使用頻度が高かった街道だったようです。どちらも比較的わかりやすい街道で表示板もそれなりにあって、歩きやすい街道でした。

和歌山と松阪を結ぶ街道で、情報は比較的少ない街道でしたが、実際に歩いてみると、標識がそれなりにあって、歩きやすい街道でした。
もっともそれでも道を間違えましたし、高見山(1248m)越えでは八合目まで登ればよかったものを勘違いして、ほぼ頂上付近まで登ってしまったというミスもありましたが、それでも楽しく歩くことができました。

 太子道(葬送の道)は聖徳太子の亡骸を法隆寺から叡福寺へ運んだ道で、沿道には古い道標が数多く存在しており、街道自体も静かな通りが多い道でした。
 京街道は東海道57次と言われた道で、京都へ向かう東海道から山科で分岐して大阪高麗橋迄伸びる街道で、豊臣秀吉、徳川家康によって整備された道です。淀川の洪水を防ぐための堤跡が現在も残っている街道でした。いずれも大変な労力を費やしたものだっただろうと思いながら歩いてきました。

どちらの道も数々の神話の舞台となった古道で、沿道には古い歴史を持った神社、仏閣が数多くあり、古の時代にタイムスリップしたような気持ちになりました。どちらの道も標識が多くあって、歩きやすい道でした。

藤原京と平城京を結ぶ下ツ道はほぼ直線のまっすぐな道でとても分かりやすい道でした。
丁度桜の季節で、川面に浮かぶ花びらを眺めながら歩きましたので、とても気持ちのいい旅でした。

伊賀街道は163号線に沿った街道で、歩きやすかったです。
唯一の難所である長野峠は、事前調査では情報が乏しくてよくわからないまま歩き始めたのですが、実際に登ってみると、それなりに標識もあるし、迷うことは全くありませんでした。
膝の手術からちょうど一年が経過し、まだ完全ではないものの、それなりに歩くことができましたので、これからも歩き続けようと思っています。
歩いていると楽しいです。

2015年1月22日に来訪者が100万人を超え、それからほぼ4年で200万人に到達しました。当初は自分が歩いた記録を備忘録のような感じで作っているつもりだったのですが、街道歩きをされる方々の参考資料となっているようで、数多くの方々に見ていただくことになり、とてもうれしく思っています。
ありがとうございます。
現在は膝の調子がいまいちの為、歩きは休んでいますが、何とか少しずつでも歩きを継続していきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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