コロナの感染者数が高止まりしているものの、一応小康状態を保っており、一方で感染再拡大の声も出始めているため、この期間を利用して香川県、徳島県の街道を歩いてきました。桜が満開で気持ちよく歩くことができたのですが、この時期にしては記録的な暑さということで、すっかり日焼けしてしまいました。

コロナ禍で歩くことができないまま一年が終わるのかな、と思っていましたが、幸い12月に入って落ち着いてきたことから、歩きを再開することができました。
今年はとりあえず四国を歩きましたが、来年もまた継続して歩くことができる毎日が来るといいなと思っています。
それではよいお年をお迎えください。

長い間、自粛生活を続けてきましたが、コロナ禍が一段落しているため、久しぶりに歩いてきました。
今回は丸亀、宇多津、多度津、高松のそれぞれから金毘羅宮へ向かう参詣道を歩きました。
四国遍路は過去に二回歩きましたが、遍路には金毘羅宮は含まれていなかったので、いつかは歩きたいと思っていました。とにかく久しぶりだったので体力的な不安もあったのですが、無事歩き終えることができてよかったです。

 この二つの街道は参勤交代に使われた街道ではなくて、生活道路として使われていた道で、そのため街道独自の道標等はありませんでしたが、遍路道や金毘羅参詣道と重なる部分が多く、それらの道標は沿道に数多く存在していました。

この街道は保存会があるようで、その方々の努力もあって、随所に標識があり、わかりやすい街道でした。
ただいかんせん山の中の街道の為、アクセスが極端に悪く、また、宿も少なくてスケジュール作成にかなり苦心しました。

 脇往還や別街道という呼び方で準街道のような感じを受けますが、いずれの街道も江戸時代には使用頻度が高かった街道だったようです。どちらも比較的わかりやすい街道で表示板もそれなりにあって、歩きやすい街道でした。

和歌山と松阪を結ぶ街道で、情報は比較的少ない街道でしたが、実際に歩いてみると、標識がそれなりにあって、歩きやすい街道でした。
もっともそれでも道を間違えましたし、高見山(1248m)越えでは八合目まで登ればよかったものを勘違いして、ほぼ頂上付近まで登ってしまったというミスもありましたが、それでも楽しく歩くことができました。

 太子道(葬送の道)は聖徳太子の亡骸を法隆寺から叡福寺へ運んだ道で、沿道には古い道標が数多く存在しており、街道自体も静かな通りが多い道でした。
 京街道は東海道57次と言われた道で、京都へ向かう東海道から山科で分岐して大阪高麗橋迄伸びる街道で、豊臣秀吉、徳川家康によって整備された道です。淀川の洪水を防ぐための堤跡が現在も残っている街道でした。いずれも大変な労力を費やしたものだっただろうと思いながら歩いてきました。

どちらの道も数々の神話の舞台となった古道で、沿道には古い歴史を持った神社、仏閣が数多くあり、古の時代にタイムスリップしたような気持ちになりました。どちらの道も標識が多くあって、歩きやすい道でした。

藤原京と平城京を結ぶ下ツ道はほぼ直線のまっすぐな道でとても分かりやすい道でした。
丁度桜の季節で、川面に浮かぶ花びらを眺めながら歩きましたので、とても気持ちのいい旅でした。

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