脇往還や別街道という呼び方で準街道のような感じを受けますが、いずれの街道も江戸時代には使用頻度が高かった街道だったようです。どちらも比較的わかりやすい街道で表示板もそれなりにあって、歩きやすい街道でした。

和歌山と松阪を結ぶ街道で、情報は比較的少ない街道でしたが、実際に歩いてみると、標識がそれなりにあって、歩きやすい街道でした。
もっともそれでも道を間違えましたし、高見山(1248m)越えでは八合目まで登ればよかったものを勘違いして、ほぼ頂上付近まで登ってしまったというミスもありましたが、それでも楽しく歩くことができました。

 太子道(葬送の道)は聖徳太子の亡骸を法隆寺から叡福寺へ運んだ道で、沿道には古い道標が数多く存在しており、街道自体も静かな通りが多い道でした。
 京街道は東海道57次と言われた道で、京都へ向かう東海道から山科で分岐して大阪高麗橋迄伸びる街道で、豊臣秀吉、徳川家康によって整備された道です。淀川の洪水を防ぐための堤跡が現在も残っている街道でした。いずれも大変な労力を費やしたものだっただろうと思いながら歩いてきました。

どちらの道も数々の神話の舞台となった古道で、沿道には古い歴史を持った神社、仏閣が数多くあり、古の時代にタイムスリップしたような気持ちになりました。どちらの道も標識が多くあって、歩きやすい道でした。

藤原京と平城京を結ぶ下ツ道はほぼ直線のまっすぐな道でとても分かりやすい道でした。
丁度桜の季節で、川面に浮かぶ花びらを眺めながら歩きましたので、とても気持ちのいい旅でした。

伊賀街道は163号線に沿った街道で、歩きやすかったです。
唯一の難所である長野峠は、事前調査では情報が乏しくてよくわからないまま歩き始めたのですが、実際に登ってみると、それなりに標識もあるし、迷うことは全くありませんでした。
膝の手術からちょうど一年が経過し、まだ完全ではないものの、それなりに歩くことができましたので、これからも歩き続けようと思っています。
歩いていると楽しいです。

2015年1月22日に来訪者が100万人を超え、それからほぼ4年で200万人に到達しました。当初は自分が歩いた記録を備忘録のような感じで作っているつもりだったのですが、街道歩きをされる方々の参考資料となっているようで、数多くの方々に見ていただくことになり、とてもうれしく思っています。
ありがとうございます。
現在は膝の調子がいまいちの為、歩きは休んでいますが、何とか少しずつでも歩きを継続していきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

初瀬街道は途中何か所か旧道がありましたが、この時期は草が枯れており、問題なく歩くことができました。峠もそれなりにありましたが、これもさほど厳しいものではありませんでした。
今年は膝の手術後、横大路、初瀬街道の二つを何とか歩くことができました。
来年も膝の調子を見ながら、少しずつ歩いていきたいと思っています。

膝の半月板の手術後、初めての街道歩きでした。街道歩きはほぼ1年ぶりだったのですが、何とか歩き終えることができました。横大路は平坦な道の為、膝の負担も少なくて助かりました。実際に歩いてみて、まだ膝の状態は完全復活ではないことがわかりましたが、それでも歩き終えることができたので、これを契機として少しずつ歩きを再開していきたいと思っています。

御代参街道は春日局が伊勢神宮から多賀神社まで参拝する際整備された道で、西近江路と七里半街道は古来北陸と京都を結ぶ貴重な街道だったという。
いずれの街道も道はしっかりとしていて、迷うことが少ない道でした。
特に西近江路は沿道に古い寺社仏閣が数多く立っていて、歴史を感じることができる街道でした。

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