この街道も初日は道が失われている峠を越えましたが、幸い今回は地元の方に案内をしていただいたので、道に迷うことなく歩くことができました。
師走に入り、すっかり寒くなってきており、人吉は濃い霧の中でした。

かなりの難敵でしたが、無事鹿児島にたどり着くことができました。
何ヶ所か旧道がわからない場所があり、また高岡~都城間は山の中の道で狩猟期間中は危険という地元の方のご意見から歩きませんでしたが、禁猟になれば改めて挑戦したいと思っています。
かなり苦労しましたので、その分思い出に残る街道になりそうです。

大分〈豊後)から宮崎〈日向)へ至る道は大変な難所。
梓峠では遂に道を見つけることができず、踏破を断念しました。
そのため、一部空白部分ができてしまったのは極めて残念です。

秋も深まってきましたので、歩きを再開しました。
今回は日豊本線沿線の日向街道を鹿児島まで歩いていく予定にしていますが、日向街道という名称は通称だったようで、資料によるとそれぞれの場所によって、豊前街道、豊後街道、薩摩街道と言われていたようです。そのため、同様に区分けして掲載しようと思っています。

 HPを開設して約3年で10万人の方々に訪問して頂きました。退職後始めた「歩き旅」の足跡を記録として残しておきたいと思ってHPを作り始めたのですが、これほど多くの訪問者があるとは全く思ってもみませんでした。それだけにとても嬉しく思っています。ありがとうございます。
 無芸、無趣味の私は引退後何をするかが大きなポイントでした。 とりあえず以前妻と一緒に四国を19番まで歩いていましたので、妻の写真を持って19番から88番まで歩こうということだけは決めていました。ただそれだけではライフワークにはなりえないので、「歩いて日本縦断」に挑戦することにしました。
 主に国道を歩いた北海道の旅が明日で終わるという日に、テレビで旧街道を歩くという番組を見て、初めて「街道歩き」ということを知り、以降それに挑戦を始めて今日に至っています。
 ただ、予想外の訪問者の数に刺激され、最近では「気ままな旅」ではなくなってしまい、「一生懸命」にならざるを得ない毎日ですが、これからも頑張って歩いていきたいと思っていますので宜しくお願い申し上げます。

中津街道は私の父母の出身地を歩く旅でもあり、とても身近に感じる街道でした。
すっかり暑くなってきましたし、今年前半戦に予定していた7街道を全て踏破することができましたので、暫く歩きはお休みし、涼しくなって再開しようと思います。 

唐津街道は自宅から近いので、四日間全て日帰りで歩きました。この街道の資料は分かりやすかったため、道に迷うこともなく、順調に歩くことができました。

何度も道を間違いながら、一カ所は結局旧道がわからないままになった街道でした。
「島原大変、肥後迷惑」と言われる寛政4年の普賢岳大噴火。死者1万5千人に上ったという被害が随所に語り継がれており、いかに大変な出来事だったのか認識を新たにしました。
それにしても最初の二日間は暑かったです。

1泊2日で平戸街道を歩いてきました。この街道は標識が最初から最後まできめ細かく設置されており、とても歩きやすい街道でした。2日間で78kmはかなりハードでしたが、それでも無事彼杵にゴールすることができました。

春爛漫、桜は満開、菜の花が咲き乱れ、新緑もきれい。阿蘇の山並みは素晴らしく、各所に残された石畳道も趣があって、とてもよかった。そんな豊後街道を歩いてきました。

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