山陽道を歩く

2008年10月13日(月) ~2008年12月20日(土)
総歩数:977050歩 総距離:630.6km

2008年10月16日(木)

JR相生~JR播磨高岡~鵤~正條~片島~有年~JR相生

                                    晴れ
 7時33分に播磨高岡駅に着き、歩き始める。今日も快晴だ。ただ、朝が早いのでまだこの時間は肌寒く感じる。2号線を歩き姫新線を跨線橋で越えて進む。このとき駅から歩き始めたので道路の左側を通っていたのだが、右側に旧道の入口がある。ところが道路を横断する信号がなく、車の通行量も多いので信号のないところで横断するわけにも行かず、かなり先まで行ってようやく横断することができた。
左手に「圓光大師二十五霊場」という大きな石碑が立っている。明和4年(1767)と刻まれている。 
円光大師
 その先に文政10年(1827)の大きな常夜燈が立っている。
常夜塔
 そのまま道なりに歩いていくと夢前川に突き当たるので左折し、夢前橋を渡る。渡って右折、丁度渡る前に川に突き当たった延長線上に旧道があるので、ここを左折して進む。
 左手に「教専寺」があり、その門前横に播磨仙人了空翁生誕地の碑が立っている。 
教専寺
 歴史を感じさせる旧家が左手に三軒並んで立っている。静かで歩いていても気持ちがいい。
旧家三軒
 その先、右手入ったところに「稲岡神社」がある。ここは「播磨風土記」の十四の丘の一つである「稲牟礼の丘」に比定されている稲岡山の南麓に鎮座しており、ここにある「お陰参り図絵馬」は文政10年(1830)全国的に流行したお陰参りの情景と雰囲気を良く表していると説明されている。現物は兵庫県立歴史博物館に寄託されており、ここには旧本殿を転用した絵馬殿に複製されたものが掲げられていた。
 稲岡神社絵馬
 このあたりから周囲に山が迫ってきて、次第に難関である有年峠が近づいてきていることを感じさせる。木々は少し色づいており、本格的な紅葉の季節ももうすぐだ。
 2号線に合流してしばらく歩き、青山南三丁目あたりから左手旧道に入るのだが、そのまま2号線を歩いていってしまい、右手にゴルフクラブがあるところで、これはおかしいと気がついた。左手に階段があったので、これを上ると旧道が通っており、そこに「旧山陽道 山田峠登り口」の標識があった。その横右手に「順海寺」があったので、坂道を登ってみた。猫が二匹日向ぼっこをしながらこちらも見ていた姿がかわいかった。
順海寺
 山田峠は昔は厳しい峠だったのだろうが、今ではきれいな道が付いており、なんなく越えることができた。
山田峠
 峠を越えると左手民家の庭に「明治天皇山田御小休所」碑が立っている。明治18年の西国巡幸の際、立ち寄られたところだ。
山田明治天皇碑
 高速道路の下を通って進み、山田の信号で2号線に合流する。その先「播州憩いの里」という温泉センターのようなところがあり、ここから再び2号線と分かれ、右斜めに入る旧道を歩く。
  左手に「桜井の清水」があり、ここだけ木が切り払われている。ここは太田黒岡山の北麓にあり、戦国時代に播磨を治めた赤松義村が選んだ「播磨十水」の一つということだ。
桜井の清水
 右手街道から大分入ったところに「黒岡神社」がある。街道に沿ったところに明治3年と刻まれた常夜燈が立っている。
 ここには「黒岡神社古墳」がある。これは古墳時代後期の円墳で主体部は右片袖の横穴式石室となっている。石室入口の「藤原貞国掾塚」と刻まれた石は家型石棺の蓋、その右の石は石棺の底石とされている。
 黒岡神社古墳
 街道に戻っていくと行基菩薩作の「太田地蔵様」があり、その先右手太田小学校があるところで2号線と合流、更にその先で右斜めに進む2号線と分かれて旧道は直進して進む。
 太田地蔵
 鵤宿に入るが、ここは本陣の遺構も標識もない。調べてみると太子町役場の前の街道沿いのところが本陣跡と言うことだったので、ここでカウントする。
 10時15分、鵤宿を通る。
 姫路宿から3時間16分、20847歩、12.4km。

  その先、右折して街道を離れて進むと「斑鳩寺」がある。
 推古天皇14年(606)聖徳太子が推古天皇に法華経を講義して播磨国に水田を賜ったことから斑鳩寺が建てられた。天文10年(1541)守護大名である赤松氏・山名氏の戦火で焼失してしまったが、後に播磨国を地盤とする赤松氏等が発案して徐々に復興していったということだ。
斑鳩寺
 三重塔は永禄8年(1565)建立の重要文化財に指定されており、聖徳殿は法隆寺夢殿を模して作られ、太子十六歳像が祀られている。境内は広く、歴史を感じさせるお寺だ。
 イカルが字 
 街道に戻って歩いていくと右手に「茶屋垣内地蔵尊」があり、女性が一生懸命にお参りをされていた。
 茶屋垣内地蔵 
 林田川に突き当たり、これを右折、誉鳩橋を渡って左折、川を渡る前の延長線上に旧道が伸びているので、これを歩く。ここも昔は渡しがあったのだろう。
 静かな旧道を歩き、右手に乗願寺があるところで左斜めに進む。右手にある揖保小学校の前を通り、JRの踏切があるところに出る。前方は高分子の大きな工場だ。ここで踏切りを渡らず右折して2号線に合流、揖保川に架かる揖保川大橋を渡って、すぐに左折する。ここも林田川と同様に工場で旧道が失われているのだ。
 「正條の渡し跡」の標柱が立っており、その横に大きな木が立っている。
 正條渡し
 ここを右折、突き当りを左折すると右手に揖保川郵便局があるのでここを右折。
 すぐ横が正條宿本陣跡で「明治天皇御駐輦址」の碑が立っている。
正條宿本陣
 ここでカウントする。
 11時47分、正條宿本陣跡を通る。
 鵤宿から1時間32分、9802歩、
 5.4km。

 この先、JR竜野駅を右手に見ながら進むが、このあたりも山間の静かな旧道が続く。歩いていて気持ちがいい。つい鼻歌が口をついて出てくる。
 右手少し入ったところに了福寺があり、その先左手に「片島宿本陣跡」の碑が立っている。
 片島本陣
 ここでカウントする。
 12時15分、片島宿本陣跡を通る。
 正條宿から28分、3082歩、2.1km。

 片島宿は間宿であり、元禄の頃は「原八軒」と呼ばれるほど小さな集落だったが、その後「原八丁」と表現され街道集落として栄えたということだ。
 この後も静かな旧道を歩き、新幹線のガードをくぐって進むと右手にJR相生駅が見える。そのすぐ前に宿泊しているホテルがある。ここから先、山陽本線を越え、新幹線のガードをくぐってその先で2号線に合流する。
  その先で旧道は右斜めに伸びているのだが、2号線沿いに「明治天皇駐輦處」が立っているので、そちらを優先して行ってみた。
明治天皇碑2号線
 ところがここから道路の向こう側に横断する道がない。そのため、そのまま2号線を進み、次の入野の信号で2号線を横断して旧道に合流する。その先、しばらく旧道が続き、上松歩道橋を渡って2号線を横断して進む。左手に圓立寺があり、その先で再び2号線を横断して、2号線の北へ出、2号線と並行している旧道を歩く。
 右手坂の上に「天満神社」がある。ここは神殿の天井一杯に絵馬が掲げられていた。
天満神社
 やがて2号線に合流するが、このあたりになると歩道がなく、トラックが猛スピードで疾走しているので怖い。跨線橋で山陽本線を渡るが、ここも道の端ギリギリを歩く。
 この先で資料では右手に旧道があるようになっている。みるとそれらしい道が2号線に並行して続いているようなので、ちょっと早いかな、ちょっと違うかなと思いながら、でも2号線をヒヤヒヤしながら歩くよりはいいやと思ってそちらを歩いていく。ところがその先で2号線から分かれた、明らかに旧道と思える道がこれまで歩いてきた道に合流している。2号線を歩きたくない気持ちが、旧道でない道を旧道と判断させてしまったのだ。それでも大きな違いはないと思いその道を歩く。途中、大きなスズメバチが一匹、体の回りをウロウロしていたが、幸い刺されることもなくどこかに飛んでいった。その先で一旦2号線に合流するが、すぐ先で左斜めへ伸びる旧道があり、今度は間違いないようなのでこれを歩いて有年横尾の集落の中に入っていく。
 有年旧道
  15時51分、JR有年駅が右手に見えるところに着く。この交差点の角に「有年村道路原票」の標柱が立っている。戦後県道拡張工事の際除去されていたが、その後、もとの位置近くに立て直されたと書かれていた。
有年村原票
 ここからJRで相生駅まで戻るのだが、電車が一時間に2本しかないのでしばらく待って電車に乗り、相生にある今日のホテルに戻る。明日はいよいよ有年峠に挑戦だ。

 本日の歩行時間  8時間18分。
 本日の歩数&距離 48793歩、32.3km。

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