奥州街道(奥道中)を歩く(仙台~青森)

2008年04月07日(月) ~2008年04月27日(日)
総歩数:788463歩 総距離:537km

2008年04月09日(水)

古川~荒谷~高清水~築館~宮野

                                    曇り  
7時40分に青葉荘を出発する。出発に際し女将が二人の写真を撮ってくれた。
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 今日は曇り空、歩くには格好の日和だ。
 江合橋の手前道路の右手に由緒ありそうな家が建っていたが、車の往来が激しく、道路を横断してまで確認をしにいくことはできなかった。橋には交通安全週間だからなのだろうか、黄色い服をきて旗を掲げた人が何人もいて、道行く人に声を掛けていた。橋を渡ってすぐに左折し、その先のY字路を右手に進む。静かな街のたたずまいが続く。やがて右折して1号線を横断する。1号線と交差するところにコンビニ(サンクス)がある。
 東北新幹線の手前で左折し、新幹線に沿って進むとY字路があり、その分岐点のところに「聖骨伝眞居子の碑」が立っている。縁起は何も書かれていなかったが、安政4年と刻まれており追分石を兼ねていたということだ。
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 ここを左側に進むと,左手少し入ったところに、「延慶の碑」という板碑がある。特に縁起が書かれていなかったので後で調べてみると、この碑には「松石殿」と刻まれており、その人の供養のためだと思われるが、どのような人なのかはわかっていないということだ。板碑とは石で作られた卒塔婆のことで、死者の霊又は自分の死後の供養のため梵字や建立月日を刻んでおり、この碑には延慶2年(1309)の紀年があると説明されていた。梵字が刻まれていたが、当然のことながらなんと書かれているのか分からなかった。
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 ここから進んで4号線を横断したところに明治22年の「仙台元標」が立っていて、「距仙台元標 12里」と刻まれている。
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 やがて荒谷宿に入る。ここは郵便局が本陣の跡で、その隣が庄屋さんの跡、郵便局の局長さんのお宅だ。
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 8時50分、荒谷本陣跡を通る。
 古川宿から1時間20分、7511歩, 5.9km。

 ここからしばらく歩いて4号線に出、これを横断して旧道を進み、陸前横沢のあたりで再度4号線に合流、これ以降も4号線に合流したり離れたりしながら進む。やがて4号線から左斜めの1号線を進み、台町の信号から直進して行くと高清水宿に入る。左側に本町裏清水の石碑が立っている。水道が整備されるまでこの水はこのあたりの人々の飲料水として貴重な存在だったという説明が刻まれていた。高清水の名は古くから高台に多くの清水が湧いていたことに由来するそうで、かっては高清水七清水と呼ばれる泉があったと説明されている。
 高清水の本陣跡は火見櫓が立っており、その横に「明治天皇休憩所」と書かれた杭が立っていた。
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 10時26分、高清水宿本陣跡を通る。
 荒谷宿から1時間36分、8916歩 6.6km。

 里程標がある。ここには「距仙台元標 14里」と刻まれている。先ほどの場所から2里、約8kmを歩いたことになる。こうして歩いていると現在でもいい目印になる。
 「奥州善光寺」がある。日本三善光寺の一つとされている。ちなみにその他の善光寺は信州と甲州にある善光寺だ。説明碑が立っており、それによると保安年間(1120~1124)藤原基衡が父清衡の菩提を弔うため信濃の善光寺を模して建立したと書かれている。境内には北条高時が新田義貞に敗れて自害したことを悼んで建てられたという「北条塔」や石碑群が立っていた。
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 伊藤ハムの大きな工場を右手に見ながら進んでいくと4号線に合流し、その先に二本の右折する道があって、その二本の道の間に挟まれるようにしてコンビニ(ローソン)がある。コンビニの先にある右折する道へ進む。ここからの道が昔の姿が残っているといわれる旧道だ。
 舗装された坂道を上っていくと右手に一軒の民家があり、その前に山道があるのでこれを更に上っていく。ここには表示板がなかったので、目印となる民家の写真と分岐する場所の写真を掲載しておきます。
 道は山道だが整備されており、上ったところに立派な碑が立っている。碑には力石(栗原郡藤沢村力石)にあった土橋が通行できなくなった時にこの道を利用した回り道であると説明されている。本来の旧道は今は痕跡は全く残っていないということだ。ここには何本かの碑が立っていたのだが、いずれも立派な碑だ。随分お金がかかっているのではないかと思う。こうした物に多額の費用をかけるのであれば、小さなプレートを沢山作って道に迷いそうな場所に数多くかけてくれたほうが、歩く立場からいえば助かるのだがなぁ、と思ったが、三好さんも全く同意見だった。
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 この旧道はきれいに整備されていて歩きやすく、しかも昔の風情を残しているのでとても気持ちのいい道だ。山の中の道にしては意外と道幅が広いなという感じを持ったが、ここは奥州街道の中でも最も昔の状態が残っている場所の一つだと説明されていた。
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 そのまま進んでいくと、力石に出て舗装された道路と交差するが、これを横切ってそのまま山道を進んでいく。
 八沢放牧場のところで舗装された道に出るが、旧道はここから先全く不明になっているようだ。「明治天皇御野立所碑」が木を切り開いて道の右側に立っていたが、その周囲は鉄条網に囲まれており、どこが旧道なのかは全く分からなかった。
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 そのため舗装された道を大回りする感じで下っていき、4号線に合流する。八ツ沢のところで築館ICのガード下をくぐり抜け、高速道路に沿って歩いていき、再びガード下をくぐり抜けて進んでいく。

(**平成20年11月栗原市で行われた交流会に参加をした際、この場所を栗原市産業経済部田園観光課の二階堂課長と渡部さん及び同課の皆さんに案内をしていただき、旧道を歩いてきました。「明治天皇御野立所碑」から左手へ下っていった少し先に「築館育苗センター」の看板が立っており、そこから右斜めに伸びている草道が旧道で、立派な道が残っていました。途中に築館の教育委員会が立てた標柱が2本立っており、これを歩いていくとやがて4号線に合流しました。**)

 南小山のところで旧道が再びわからなくなっているので、とりあえず昼食のため4号線に出て食堂に入る。
 昼食後栗原市役所築館支所の前を通って旧道に戻ると、薬師山があり、そこに「双林寺」がある。ここは杉薬師霊場とも呼ばれており、天平宝字4年(760)に第46代孝徳天皇がご病気になられ、中々回復しなかったので、当時の易学博士に占ってもらうと、奥州の地に高さ数十丈の大木があり、その精が紫宸殿を侵しているので、その大木を伐るようにということだった。そのため当地まできてみると、杉の大木があったのでこれを伐ったところ、天皇のご病気はたちまち治った。天皇はその杉の霊異に感謝され、当地に勅願霊場を建立された。その後寺は荒廃したが、伊達公の命により天正19年(1591)に再興され双林寺と命名されたと説明されていた。ここには国重要文化財の指定を受けた木造薬師如来坐像や木造増長天立像、木造持国天立像が収納庫に収められていると説明されていた。
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 ここには樹齢1200年を越えるといわれる姥杉が立っている。高さは34mとなっていたが、落雷や火災に遭ったそうで今ではかなり低くなっているようだが、それでも幹周りは大きく威容を誇っている。
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 築館宿の本陣は郵便局のところにあったということだが、旧道からは少しそれるので、その近くでカウントする。
 14時22分、築館宿を通る。
 高清水宿から3時間56分、17570歩、11.7km。

 今日の宿であるビジネスホテル築館は街道から少し入ったところにあり、少し迷ったが電話で確認をするとすぐ分かったので、とりあえずチェックインをして荷物を置き、いつものように少し先まで歩くことにする。
 留場橋で4号線と合流して進み、宮野の信号から4号線と別れて直進し宮野郵便局のところを右折して進む。
 左手に宮野幼稚園があり、ここが代官所跡ということだったので、ここでカウントする。
 15時3分、宮野宿を通る。
 築館宿から41分、3580歩、2km。

 ここから少し先にあるグランドプラザ浦島というホテルまで歩き、タクシーでホテルに帰る。
 16時過ぎに三好さんのお知り合いで佐々木るり子さんといわれる方がホテルに尋ねてこられた。この方も街道交流会に参加をされておられるそうで、一方ではご自分が育てておられる薔薇の原産地は京都なのにどのようなルートを伝ってこの築館に来たのかということを調査をされているそうだ。昨年三好さんが参加された栗原での街道会議に佐々木さんもおいでになっていて、三好さんのお名前が薔薇ということから話が弾まれたということだった。またハーブの栽培をなされているそうで、今日は二人にラベンダーの入った袋を持ってきていただいた。これを枕元においておくと良く眠れるそうで、その後の旅の間のみならず、帰宅してからも愛用させていただいている。ありがとうございました。
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 その後河北新報社の記者古関さんがおいでになり、今回の旅に関して取材を受ける。
 夜は栗原市産業経済部田園観光課の課長でくりはら街道会議の二階堂さんと主事の渡部さん、そして先ほどお会いした古関さんにホテルのすぐ近くの「満てん」というお店で激励会を開いていただいた。
 ここでは14種の漢方草を餌にして育てたという、漢方牛を食べさせていただいたが、脂のしつこさがなく、さっぱりした感じでとてもおいしかった。また「わたや」という地酒も飲ませていただいたが、これもおいしかった。更にお土産として「夢風船」という名前のトマトをいただいたが、これもおいしかった!実が堅くしかも甘い。こんなトマトは初めて食べた。おいしかった!!
この夜の写真を2枚掲載させていただきます。
 1枚目は最初の乾杯時のものです。
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 2枚目は宴の終わり近くになってのものです。
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 持っているグラスは全て空になっていま~す♪
 栗原の夜もとてもステキな夜でした。
 感謝。

本日の歩行時間   7時間38分。
本日の歩数&距離  38019歩、27.6km。

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