奥州街道(奥道中)を歩く(仙台~青森)

2008年04月07日(月) ~2008年04月27日(日)
総歩数:788463歩 総距離:537km

2008年04月12日(土)

水沢~金ヶ崎~相去鬼柳~黒沢尻~花巻

                                  曇り後雨

 7時30分に宿を出発する。空は曇っているが、予報では次第に回復してくるということだった。しかし結局途中から雨になってしまった。今度の旅は雨が多い。
 「高野長英旧宅」がある。旧道からは少し外れるがいってみることにする。高野家は長英の母美也の実家で、長英が17歳で江戸に出るまでの一時期を過ごしたところだ。現在の建物は明治9年(1876)に改築されているが、西側の表庭に面した八畳と六畳の二部屋が長英の居室として保存されていると説明されている。
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 すぐ横に「高橋家」がある。武家屋敷高橋家は留守家の大番士を勤めた家臣の屋敷だった。江戸時代この大畑小路は「吉祥寺前小路」や「東大畑小路」と呼ばれ、武家屋敷が配置されていた。屋敷内は江戸時代の建物配置をとどめており、明治7年(1874)から8年にかけて建てたといわれる母屋をはじめ薬医門や土蔵、板蔵、井戸などがあると説明されている。ただここは民家のため非公開となっている。
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 旧道に戻って商店街を歩くと南枡形入り口の碑が立っている。また少し先に「明治天皇行在所碑」が立っていたのでここでカウントする。明治天皇は明治9年と14年に東北巡幸されているが、その際いずれのときも行在所はこの地にあった大町の豪商戸坂万六宅であった。
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 7時57分、水沢宿を通る。
 前沢宿から3時間34分、19606歩、12.4km。

 水沢は色々なところに表示板が立っている。旧町屋紹介として大町や立町、川口町等の各々で詳細な説明がなされていた。また街道筋には土蔵が残っていたりして昔の姿をかなり留めていた。上伊沢代官所跡があったが、ここは現在も人が住んでおられるようだった。
 市街地を抜けた街道は中ノ町のところから4号線と分かれ右斜めに進んでいく。
 埋蔵物文化財センターが街道から少し入ったところにあったので、そこへ行って見物。そこで高倉会長からご紹介を頂いて、沼宮内から小繋を案内していただくことになった上山さんに連絡を取る等して約30分ほどを費やす。ここで三好さんの携帯の電池が切れてしまった。充電器の調子が悪くうまく充電できないままここまで来てしまったということだったが、旅先で携帯が使えなくなるとそれこそ大変だ。文明の利器もうまく動いてこそ威力を発揮するのだが、故障してしまうとそれに頼っているので非常に困った状況に追い込まれてしまう。とりあえずはどうすることもできないので、どこかで携帯の販売店を見つけることにして先に進むことにする。
 胆沢川と北上川の合流点の南に「胆沢城址」が広がっている。胆沢地方の中心地水沢は大和朝廷軍の侵略に粘り強い抵抗を展開した蝦夷の首長アテルイの本拠地だった。延暦8年(789)から始まった戦いは延暦21年(802)にようやく朝廷軍の勝利となり、坂上田村麻呂によって築かれたのが胆沢城だ。間もなく胆沢城には蝦夷平定の軍事部門の中枢である鎮守府が多賀城から移されたということだ。かっての大和朝廷の東北支配の牙城だった胆沢城も今は遺構は何もなく、平原が広がっているだけだった。
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 胆沢城の近く、八幡宮のところの街道から少し入ったところに旧肝入りだった高橋家があるようだったが、個人のお宅で見物できないということだったので行かなかった。
 胆沢川を再巡橋で渡って進むと金ヶ崎町に入る。ここも遺構は残っていないため町役場前でカウントする。
 10時11分、金ヶ崎宿を通る。
 水沢宿から2時間14分、11105歩、7.5km。

 ここにも高橋という名札のかかった立派な家があったが、水沢の高橋家と何らかの関係があるのかなと思った。
 左手に昨日も見えた焼石連峰が見える。昨日よりはるかに大きく見えるようになっている。
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 丸子館の跡がある。ここは室町時代の文安年中(1444~1448)に江刺七郎清義が丸子館主になり三ヶ尻と名乗った。その後、豊臣秀吉の奥州平定によって三ヶ尻氏はこの地を追われたのだ。三ヶ尻氏がこの地を治めたのは約150年間で江戸時代には伊達領になったと説明されていた。
 花沢堤のところから直進する道はあるように見えたのだが、近くの人に聞くと、この先に浄化センターができていて進めないということだったので、ここから左折してJRを越え4号線に合流して進む。JRの線路を越えるとき右手に大原駅が見えた。ここから和田、和田尻を通って進み、4号線と分かれて再びJR線路を越えて進む。
 ここから道がわからない。三好さんが調べた結果ではそのまま今歩いてきた道を進むようになっており、私の調べでは北上川沿いに行くのではないかと思った。お互いに良く分からないというのは本音だったので、とりあえず私の調べた道を進んでみることにする。田んぼの中の道を進み、新幹線のガード下を抜け、国見橋を右に見ながら進むと先ほどの道と合流する。実際に歩いてみてこれが旧道かな?と疑問に思ったが、結局どちらが本当の旧道なのか分からなかった。このあたりから強い風が吹きつけ体感温度はとても寒く感じた。
 「相去番所跡」の表示板がある。ここは明暦2年(1656)伊達藩主二代忠宗公のとき、北境の備えからここに番所を置き、街道の両側に軽臣(足軽)102名を置いたと説明されている。
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 「相去藩境塚」がある。南部藩と伊達藩の境の塚だが、これは復元されたものだ。
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 この先から道は左折しており、JRの線路を越えて九年橋を渡る。この橋は和賀川に架かっているのだが、川は大きく、真ん中に洲があってその両側をかなりの流量で流れている。この川は少し先で北上川に合流している。
 このあたりの家(もっと前からだったような気もするが)どこも玄関が道路に面しておらず、道路と直角になるように建てられていることに気がついた。私の地元では玄関は道に面しているのが一般的でこのような建て方は珍しい。敷地に余裕があるからこそできるのだろうが、それ以外になにか意味があるのだろうか。
 九年橋を渡ると北上市街に入る。昼を大分過ぎており、何か食べようということで街道から離れて北上駅のほうへ向かっていく。ホテルがあったのでそこで昼食を取る。その後近くに携帯の販売店があるということが分かったので、そこへ行って三好さんの充電器を入手することができた。これで一安心だ。
 北上の町は土曜の午後というのに人通りがとても少なく、町はガランとしていた。
 このあたりから、それまで霧雨のように降っていた雨が少し強くなってきたので傘を出さざるを得なくなった。
 黒沢尻宿は正式な宿駅ではなく間宿だったそうだが、北上川船運の最も重要な中継基地だっということもあって、間宿にもかかわらず本陣、脇本陣がおかれたそうだ。松屋呉服店が本陣跡なのでここでカウントする。
 14時24分、黒沢尻宿本陣跡を通る。 
 金ヶ崎宿から4時間7分、20989歩、13.4km。

 ここは北上信用金庫本店前や松村時計店が脇本陣跡だった。
 「二子一里塚」がある。ここは両塚が残っている。日本橋から128里(502.8km),盛岡から11里(43.2km)。特に左側の塚は塚木が健在だ。 
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 次の成田一里塚も両塚残っており、二ヶ所続きで両塚がほぼ原型を保っているのは全国でもここだけということだ。
 奥州街道で残っている一里塚は20余ヶ所といわれていて、その数は少ないが、この地は明治以降国道が離れた場所に作られたため一里塚がそのまま残ったと説明されている。
 道は北工業団地の中を通っている。ここは最近整備をされたところなので当然旧道は失われているが、この団地では大きな工場が数多く進出をしており、活況を呈しているように思われた。造成だけされてそのままになっている工業団地を数多く見てきただけに余計そう感じるのかもしれない。
 「成田一里塚」がある。ここもきれいな形で両塚が残っている。思わず「うぁ~、すごい!」という言葉が口をついて出たほどの見事さだ。
 なんとか両塚を同時に写真に撮れないかやってみたが難しかった。
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 「奥州街道なごりの松」がある。道路横から下に向けて反り返るようにして立っており、それを鉄柱で支えている。
 この付近の松並木は寛文5年(1665)に奥寺定恒が自費で苗木を買って作ったといわれ、延宝2年(1674)枯れた松など一部を植えなおしている。ところが昭和42年にそのほとんどが切られ、今では僅かに南城小学校に3本とこの松一本を残すのみとなっている。
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 「向小路同心屋敷跡の碑」が桜町郵便局の横に立っている。
 向小路(現在の桜町)には30戸の足軽同心屋敷が配置され、花巻城下の南の関門になっていた。
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 「宮沢賢治の生家」がある。 表札をみると宮沢となっているので子孫の方が住んでおられるのだろう。
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 花巻の市街地に入り、17時25分、今日の宿であるビジネスホテル中島屋に到着。ここは街道から一つ通りを入ったところにあった。
 夜、掲示板に書き込みがあることに気がついた。書き込みがあると私の携帯に即時にメールで入るようになっており、その場で携帯から返信をしているのだが、今日はメールが滞っていたようだ。たまにこういうことがあるが、これはNTTの電波の具合なのだろう。

本日の歩行時間   11時間55分。
本日の歩数&距離  53565歩、35.6km。

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