奥州街道(奥道中)を歩く(仙台~青森)

2008年04月07日(月) ~2008年04月27日(日)
総歩数:788463歩 総距離:537km

2008年04月15日(火)

盛岡~渋民~沼宮内

                                    晴れ 
 7時30分に星川さんがホテルにおいでになり、昨日歩いたところまで車で送ってくれるといわれるので、お言葉に甘えさせていただくことにする。
 昨夜、盛岡市内の歩いた道をチェックしていただいたところ、明治橋を渡ったところで我々は道を間違えたことがわかった。橋を渡ってすぐのところにある五叉路の右から二番目の道を行くのが正しいといわれ、今朝はそこまで戻って旧道を車で案内していただいた。我々は昨日右から三番目の道を歩いていたのだ。
 米内光政の墓のあるお寺の前を通って進むと、確かに旧道独特の建物が目に付いた。
 鍛冶町の一里塚を通るころには昨日の我々も旧道を歩いており、昨日歩いた道を確認しながら進む。
 車中でお話を色々と伺うことができた。その中で一戸から九戸まである「戸」の意味を尋ねると、このあたりは昔馬を飼っていてその牧場のことをいっていたということだった。また盛岡以北の藩は松前藩と八戸藩しかなく、しかもどちらも小藩だったので、参勤交代も5年に一回と回数も少なく、そのため盛岡以北は街道というより生活道路的な感覚だった。逆に海岸と内陸を結ぶ街道は物資の往来が激しく、発達していたというようなことを教えていただいた。
 黒石野パークタウンⅡという看板が立っているところから右へ旧道に入る。
 ここは昨日歩いてみて全く分からなかった場所だ。ここで車を下りGPSをセットして8時24分に歩き始める。途中「明治天皇の御休憩所跡の碑」があるが、これは個人宅の庭の中にあり、この個人の方が建立したものなので中に入ってみることはできないということだった。ただ道から碑を見ることはできた。
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 大森山の下をグルッと回り、道路のガードをくぐって出たところが、昨日道が分からなくてウロウロした場所だった。ここから博物館までは昨日歩いたので車に乗せていただいて移動する。
 星川さんとはここで別れて8時47分に歩き始める。星川さんには本当にお世話になり感謝です。
 左手に四十四田ダムが広がり、道は山の中を通っているのだが車の通行量は多い。
 「小野松一里塚」がある。ここは鍛冶町の元標から北方へ上田一里塚に次いで二番目の一里塚で両塚が残っている。
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 「おの松かんのん清水」がありコップが置いてあったので、飲むことができる水なのだろうが飲まなかった。
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 小野松橋が架かっているが、その手前から左手に回り込む道があり、これを通ってグルッと遠回りをして旧道を歩く。先ほどからダムの左手に雲がかかった岩手山が見えていたのだが、このあたりに来て雲が切れはじめ、全容を見ることができだした。なかなかにいい山だ。
 観音橋を渡る。事前の調査では二人ともここから直進すると思っていたが、星川さんからここは道を右折して飛田、赤坂をグルッと回る道が旧道だ、と教えていただいたのでその道を歩く。丁度三角形の二辺を歩く形になるので、大分遠回りになるのだが旧道に忠実に歩く。岩姫橋があるが、これを渡らず右方向へ進むと笹平にくる。ここはダムができたため水没をしてしまっているが、ダムの水位が低いときは見ることができるといわれる笹平の一里塚がある。我々も注意をしてみたがわからなかった。
 ここから上り坂になる。車の通行量は相変わらず多い。たまに人家があり、それらの家の玄関には北海道で見る雪除けの枠が施されていた。このあたりは冬は雪が多いのだろう。
 坂を上りきったところに「明治天皇御小休之跡碑」が立っており、「つむ雪を頂き残す岩手山・・・」という歌が刻まれていた。2008041504 
 柏木平までくると左手にクッキリと岩手山が見えた。かかっていた雲が全てなくなり、その全容を現している。素晴らしい眺めだ。南部片富士と呼ばれているそうだが、富士というにふさわしい姿だ。富士山大好き人間である私はすっかり感動してしまい、写真を撮りまくり、しばし見とれてしまった。 本当に素晴らしい!
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 道の真ん中で写真を撮ったり、立ち尽くして見つめたりしているところに、パトカーが通りかかって「オジサン、危ないですよ!」とマイクでいわれてしまった。車もあまり通っていない道なのだから、ちょっとぐらい感傷に浸らせてくれたっていいだろうと思ったが、おとなしくすいませんと謝って道を譲った。
 歩いていくと今度は右手に稜線の長い山が見えてきた。雪はほとんど被っていないがなんともいい形の山だ。なんという山だろうと思って近くにおられたおじいさんに聞くと姫神山(1123m)だという。何をしているのかと聞かれたので、仙台から竜飛岬まで歩いているのですと答えると、それはご苦労様といわれてしまった。「それはご苦労様」という言葉をこの旅で何度いわれたことだろう。たしかにそれしか言いようのない二人の行動なのだ。藁葺きの農家があったので姫神山を背景にして写真を撮った。このあたりの景色はすばらしい。
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 渋民宿を通るが遺構は残っていないため、郵便局のところでカウントする。
 12時43分、渋民宿を通る。
 盛岡宿から6時間11分、
 32336歩、21.4km。

 街道の右手に啄木記念館がある。啄木の関係資料を展示しているようだ。
 その横に啄木が明治24年に入学して4年間学び、明治39年から一年間代用教員を務めた渋民尋常高等小学校舎と、間借りしていた茅葺き民家が立っていたが、これらは移設されたものだと説明されていた。
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 ここの道路に距離表示が立っており、東京から555kmとなっていた。
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 竜飛岬目指してgo!go!go!だ。
 「新塚一里塚」がある。盛岡市最北の一里塚で東側のみが残っている。
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 このあたりまでくるとあれほどきれいに見えていた岩手山が、後方に見えるようになってしまっている。一歩僅か70cmほどの歩みなのだが、一歩一歩積み重ねていくと、あの大きな山でさえ僅か一日で後方に見えるようになってしまうのだ。いつも思うことだが「不断」の積み重ねとはすごいものだと思う。
 伏小屋のところで旧道に入らなければいけないのだが、そのまま直進してしまった。幸いすぐに気がついたため事なきを得たが、気をつけているつもりでもついまちがってしまう。
 「巻堀神社」がある。ここには男根石と女陰石がある。ここの説明は無明舎出版の「奥州街道歴史探訪・全宿場ガイド」に詳しく掲載されているのでそれを引用させていただきます。
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 ここはかって金勢大明神とも呼ばれ、文政11年(1828)の「筆満可勢」に詳しい縁起伝承が収録されている。「昔、この村に長者があり、美しい一人娘がいた。婿を取ったが、祝言が済んだその夜の床で、婿は死んでしまった。それから何度となく婿を取ったが、夜中に死んだり逃げ出したりしたので、やがて婿になろうとする者はいなくなった。娘にはある事情があったのだ。隣村に才知のある若者がいて、ある小道具で事情を解消。仲睦まじい夫婦になった。長者夫婦は小道具を神として祀った・・・・」
 おわかりかな?

 「二ツ森一里塚」があるが木で作られた碑が立っているのみだ。
 横でラーメン店の「営業中」と書かれた旗が風に吹かれて激しくはためいていた。
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 昭和20年代まで草桁から二ツ森にかけて松並木があったそうだと資料には書かれている。
 「川口城跡」がある。ここは代々川口氏の居城で「豊城」とも呼ばれている。築城の規模、構造は明らかではないが、西に北上川、南に古舘川の崖地、北に丹藤川を受け、飲料水は東の山裾から隠し水を引き、天然の地を利用した住古の山城である。文治5年(1189)奥州合戦の後、源頼朝から川村氏がこの地を与えられたが、川村氏は川口氏の祖先で、以後川口氏はこの川口館を居城とし、中世末から近世にかけて南部氏の下で存続したと説明されている。
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 野原に明治天皇御小休之跡碑が立っていた。
 4号線から丹藤街道踏切でJRの踏切を渡っていくと、芦田の一里塚と少し先に「番屋跡の碑」がある。ここは非常に分かりにくい場所で近くにいたおじさんに聞いたところ、「芦田の一里塚」は道から少し入ったところにあるということを教えていただいたのでそこに向かっていると、おばさんが後を追いかけてきて、一里塚の先に番屋跡があるといって道を教えてくれた。
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 そこは完全なあぜ道で、人家の庭のすぐ横を通って進み、小川に鉄板を二枚渡しただけの小さな橋を渡っていくと、たしかに番屋跡の碑が立っていた。これは教えていただかなければ分からなかったと思う。
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 結局この道をそのまま進んでいくことができたので、横道と思っていたこの道が旧道だったのだ。それにしても分かりにくい道だった。やがて芦田内踏切で再びJR線路を越えて4号線に合流する。その後、沼宮内南口のところで再び4号線と別れて直進するとJR沼宮内駅が右手にある。今日の宿笹相はここからすぐ近くだった。
 足にマメができている。前回奥州街道を歩いたときに、新しい靴を履いてマメができて大変だったので、今回は以前四国、北海道を歩いたときに履いた靴を使った。この靴はとても合っていてマメがほとんどできなかったので助かっていたのだが、さすがに古くなって捨てるつもりで置いていたのだ。今回はかなり長丁場になるので、どの靴を履いていくが迷ったが、結局あまりに履き心地がよかったので、もう一回これでいこうと引っ張り出したのだ。最初のころは確かによかったのだが、このあたりからマメができだし、最後まで治ることはなかった。靴の裏が磨り減っていて長距離を歩くのは無理だったのだ。靴選びは本当に難しい。三好さんは今回の旅ではマメがほとんどできなかったということだ。いずれにしても三好さんは全ての面ですごい人だった。
 今日は星川さんから旧道を教えていただいていたので、旧道をかなり忠実に歩くことができたのではないかを思う。

本日の歩行時間   8時間26分。
本日の歩数&距離  45267歩、32.0km。

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