奥州街道(奥道中)を歩く(仙台~青森)

2008年04月07日(月) ~2008年04月27日(日)
総歩数:788463歩 総距離:537km

2008年04月13日(日)

花巻~石鳥谷~日詰郡山~大沼

                                    快晴

 7時25分に出発する。昨夜はかなり冷え込んだようだが今日は快晴。今回の旅では初めての晴天だ。旧道に戻って進むが、資料によると旧道は道の右側に入ったり、左側に出たりしているようだ。ところが実際に歩いてみると良く分からない。オバサンが数名おられたので聞いてみたが良く分からない様子。しかたがないので商店街をそのまま直進する。
 花巻宿も遺構は残っていないため、花巻四日町郵便局の前でカウントする。
 7時48分、花巻宿を通る。
 黒沢尻宿から3時間30分、 21017歩、13.3km。
 四日町三丁目の信号を右折し、その先で4号線に合流してこれを左折して4号線を歩いていく。ここからしばらくは真っ直ぐに伸びている4号線を歩いていく。右手に花巻空港が見えてくる。ここは以前一度だけ利用したことがある空港だ。当時のことを思い出しながら歩く。
 今日も右手に北上山脈、左手に奥羽山脈を見ながら歩く。どちらもあまり高くないので、山脈というより山地といったほうが適当かもしれない。北上山地には雪はないが奥羽山地には雪を被っている山々が見える。
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 昨日見えていた焼石連峰はもう後ろのほうにかすかに見えるだけだ。
 道の気温表示は6℃を示しているが歩くには快適な気温だ。
 「江曽の一里塚」がある。この築造は南部第二十八代藩主重直公の時代明暦4年(1658)と考えられている。この重直公は藩内の通行を便利にするため道の屈曲を直し、勾配を緩めるなどの改修を施した。それが現在の国道4号線となっていると説明されていた。
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 「逆ヒバ」がある。これは今から1200年ほど前に弘法大師が諸国巡行の際、この地を訪れ湧き水で喉を潤そうとして休憩した。その際、地面にさした杖が根付いたのが逆ヒバといわれ、杖はそのまま根を張って大きくなったといわれている。逆ヒバはヒバ類のクロベという木で、根の直径が約2m、幹の周囲が約4.7mあるそうで、幹が太くなってもその根元のほうが細く、その上のほうが太くてあたかも杖の様子を連想させることから逆ヒバという名前がついたと説明されている。
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 石鳥谷の町に入る手前西中島のところで旧道は4号線と分かれて直進する。
 このあたりになると左前方と右前方に雪を被った高い山が見えてきた。通りかかった人に聞くと左前方の山は岩手山(2038m)、右前方の山は早池峰山(1917m)ということだった。この後岩手山の素晴らしい姿に感動することになる。
 「杉生桜」が立っている。これは幹は杉だが枝は桜の木で桜の花が咲くそうだ。ただ一般の桜に比べ咲く時期は遅いようだ。話を聞いた近所の方によると先ごろ樹医が来て診療をしたといわれていた。こういうことに関しては知識は全くないが、こんな木は珍しいのではないかと思った。
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 石鳥谷宿は遺構が残っていないため石鳥谷駅前でカウントする。
 10時27分、石鳥谷宿を通る。
 花巻宿から3時間2分、16100歩、11.2km。
 石鳥谷宿を過ぎて相変わらず直線の道を歩いていくと、「菊池数馬」の墓がある。
 数馬の父正宗は小田原の北条氏に仕えていたが、小田原城落城によって殉死し、息子数馬は豊臣秀吉の助命によって奥州に落ち延び、石鳥谷に落ちのびてこの地に住むようになった。数馬は石鳥谷を愛し、新田の開拓や道路、橋の新設、改良に力を注ぎ、大淵村との境界争いにも活躍して境の平安を守ったことから住民に慕われていたようだ。万治2年(1659)に75歳で亡くなったが危篤の際、自分が境の鬼となって好地村を守るので境に埋めて欲しいと遺言したと説明されていた。
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 その後、旧道は大淵の信号で4号線と合流する。
 石鳥谷町と紫波町の境(幕藩時代は好地村と大淵村)は稗貫、紫波両郡の境にもなっていて境塚があったが今は一本の杭が立っているだけだった。
 南日詰のところで左側に「五郎沼」がある。この沼は白鳥の飛来池でまだ帰っていない白鳥がかなりの数池に浮かんでいた。写真を撮ろうと思っていってみると、ご近所の方が大賀博士の蓮のことを教えてくれた。
 囲いがされており、その囲いの中の蓮は約900年前に五郎沼に咲いた古代蓮ということだ。平泉中尊寺には藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と頼朝によって殺された泰衡の首がミイラとして残っており、その泰衡の首桶の中から蓮の種子が見つかったので調査団の故大賀一郎博士がこれを持ち帰り、教え子の永島教授が生命工学で平成6年に発芽させ、平成10年に開花、五年がかりで栽培にこぎつけ、平成11年に中尊寺に移植して初めて開花させたことで有名だ。
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 「志賀理和気神社」がある。 ここには南面の桜があった。元弘のころ、都からこの地に下った藤原頼之は河東の領主河村少将の娘桃香と相思相愛の中になった。ある日、二人は社頭に桜を植えてやがて来るであろう爛漫の春を夢見た。ところが頼之が急に都に上ることになった。歳月は流れ、かって植えた桜は見事に花を咲かせたが、不思議にも桜は南面を向いて咲いていた。やるせない桃香の思いが桜に宿ったのだろうかと説明されていた。
 この神社には天保5年と刻まれた石碑が立っていたが何と刻まれているのかは読むことはできなかった。
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 桜町で及び4号線と別れて進むと日詰郡山の本陣跡があったのでここでカウントする。
 13時9分、日詰郡山本陣跡を通る。
 石鳥谷宿から2時間42分、  11722歩、7.3km。

 この本陣である平井邸は第12代平井六右衛門が総理大臣に就任した原敬を接待すべく、大正7年から3年をかけて大正10年(1921)に完成させたもので、8月14日に原敬を迎えて新築披露の宴を盛大に催した。しかし原はその3ヶ月後に東京駅で暗殺されてしまったのだ。今は誰も住んでいないが岩手県内では最も大きな木造住宅といわれているそうだ。
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 銭形平次のふるさと紫波町という看板がかかっている広場があり、銭形平次ふるさとへ帰るという文字と共に手形が掘り込まれた石があった。銭形平次は神田明神下の目明しだったはずだが?と思ったが、帰って調べてみると何のことはない、紫波町は銭形平次の作家野村胡堂のふるさとだったのだ。
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 「勝源寺」がある。寺の裏に回ってみたがここの逆カシワは見事だった。
  カシワは本来幹が直立し高さ20m以上になる落葉広葉樹だが、ここのカシワは直立せず地際で4本の支幹に分かれ、それぞれ地面を這うように伸びてから立ち上がっている。この姿はあたかも根が枝になったように見えることから逆カシワと呼ばれるようになったといわれている。
 樹齢300年、枝張りは東西21m、南北27mといわれる見事な木だ。
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 間野々の一里塚跡があるが杭が立っているだけだ。日本橋から136番目の一里塚ということだ。
 「徳丹城跡」がある。ここは弘仁4年(813)に時の征夷大将軍文屋綿麻呂が築いたもので、延暦22年(803)に築かれた志波城が雫石川の度重なる水害によってその機能を果たせなくなり、その代わりに造られた城柵だ。
 外郭が一辺約350m四方(志波城は約900m)、内郭は一辺約80m四方(志波城は約150m)と志波城よりかなり縮小されている。ここは大和朝廷が東北地方支配のために築いた城柵としては最後のものということだ。
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 またここには矢巾町指定有形文化財となっている佐々木家曲家が移設されて立っていた。
 これは東向き母屋の北端に南向き馬屋が取り付く典型的な南部曲屋という説明がなされていた。藩政時代には村役を務めた農家だったため建坪も90坪と大きい。
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 今日中に盛岡の中心地まで行くのは無理なので途中で打ち切り、JR岩手飯岡駅から盛岡まで行くつもりにしていた。その場合、街道から駅まで大分距離がある。往復の道が全くの無駄足になってしまうのだ。歩き始めて丁度一週間が経過しており、疲労のピークに達している二人にとって一歩たりとも無駄足はしたくなかった。そう思いながら歩いていると盛岡行きのバスが4号線を走っていることが分かったので、バスに乗って盛岡まで行くことにする。そんな話をしているときに盛岡にある奥州街道会議の高井理事長から電話が入り、夕食を共にしたいと連絡があった。
 仙台での激励会のことが伝わっているようだ。今日の宿泊場所である北ホテルから近いということで高井理事長のご自宅に招待されることになる。
 16時25分に大沼というバス停からバスに乗り、盛岡バスセンターに着いて高井さんに電話を入れると、自宅がすぐ近くなので迎えに来ていただけるという。ここで合流しホテルまで送っていただいた。疲れた身にはとてもありがたかった。ホテルで毎日の必須作業を行った後、やはり車で迎えに来ていただいてご自宅を訪問。高井さんは単身赴任されているということで、同じく奥州街道会議の安藤さんとご一緒に手作りの夕食をご馳走になる、とても手際よく、またおいしく作られており、その腕前に驚いてしまった。
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 ここでもおいしい料理とお酒をすっかりご馳走になってホテルに帰る。明日はとりあえず盛岡でもう一泊し、市内を歩く程度で小休止することにする。

本日の歩行時間   9時間。
本日の歩数&距離  47425歩、32.9km。

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