二回目の四国遍路を歩く

2013年11月19日(火) ~2015年02月22日(日)
総歩数:1678682歩 総距離:1146.8km

2013年12月20日(金)

山代旅館~三好旅館

                                     曇り時々雪

 7時58分に出発する。今日の天気は荒れ模様。昨夜は強風が吹き荒れていて、さすがの私も夜中に何度も目が覚めた。朝のニュースを見ると愛媛県全域に大雪注意報が出ていた。
 出発すると、幸い雨は降っていないものの風が強い。今日も寒くて顔や手が痛いようだ。
 これほど風が強いと菅笠は被れないので、カバンに縛りつけて歩く。
 56号線に合流して進むと、道に出ておられた男性の方が近寄ってこられて、私に対して手を合わせながら、百円玉5枚をお接待してくれた。寒風吹きすさぶ中でのお接待に心が温かくなる。ありがとうございますという言葉が自然に出てくる。
 その先左手に神社の鳥居が立っており、その横に明治45年の3本の道標が立っている。「平城へ一里二十一町」「きくかは○し」「柏へ一里十五丁半」とぞれぞれに刻まれている。
明治45年の3本
 更に56号線を進んでいくと、右手に石仏群がある。こういった石仏を見ると何故かホッとして心が癒される。昔の人たちもきっと同じ思いでこれらの石仏に手を合わせたのだろう。
石仏群
 山を抜けると、左手に海が広がっている。室井海岸だ。いい眺めだ。こうしてみると四国は海岸線ぎりぎりまで山が迫り、山と海のわずかの間に現在の道路が通っていることがよくわかる。ただ、風が強いし、寒いのでゆっくり景色を見物する余裕はなく先を急ぐ。
室井海岸
 突然、雪だか、雨だか、みぞれだかわからないが、ザーと降ってきた。この風の中で降られたらたまったものではない。ポンチョを出そうとしたが一休みする場所がない。今日は菅笠をカバンに縛り付けているのだが、風が強いので、かなりしっかり縛っていて、カバンを開けるのに手間がかかりそうだ。これは困ったぞと思いながら、とにかく風雨をしのげる場所を探そうと思って先を急ぐ。それにしてもなんでこんな天候に遭遇するのだ、と思いながら、先を急いでいると、何故かフッと、「我に七難八苦を与えたまえ」と月に向かって祈ったという山中鹿之助のことが頭に浮かんだ。しかし、全く同意できない。もうこれまでの人生で散々艱難辛苦を経験してきたので、もうこれ以上はいい。後は心穏やかな老後を送らせてもらいたいだけだ、などとくだらないことを考えながら歩いていると、次第に小止みになってき、そのうち止んだ。私の気持ちが天に通じたのかな?
 やがて清水大師へ向かう道と、56号線を進む道の分岐点にくる。今日はこれだけ風が強いので、海際を行く56号線は風で大変なはずだ。一方山の中の道は風は木々にさえぎられてあまり吹かないのではないか。幸い雨、雪は大した降りではないので、これは山の中の道の方がいいと思って山へ向かう遍路道を進む。
 内海診療所を左に見ながら道案内に従って進むと、左手に年不詳の大きな石灯籠が2基立っている。
石灯籠
 その先民家の庭を通った先に山の登り口があるので、9時42分にここから登っていくと、予想通り風はピタリと止んだ。 道は少し濡れていてゆるいが、この程度であれば大丈夫だ。
登り口
 山を登っていくと、バンという音が聞こえる。猟銃の音だ。11月15日から3月15日までは狩猟期間なので、猟に出ているのだろう。この道は遍路道だし、白衣を着ているので、大丈夫だろうと思いながら、熊野古道を歩いた時に、すぐ近くでバンという大きな音がして驚いたことを思い出して、一応注意をしながら進む。その後何回も猟銃の音が鳴り響いていた。
 「柳水大師」に10時28分に着く。 ここは弘法大師が旅人の渇きをいやすため、柳の杖を突き立てたところ、甘露の水が湧き出てきたので、柳水というようになったとのことで、そのお杖が根付き、一本の柳が代々育っていると説明されている。ここには明治25年の大師像がある。
柳水大師
 更に登っていくが、上空でゴーゴーと風の音がすごい。相当に強風が吹いているようだが、遍路道は木々に囲まれているので、ほとんど風が吹かない。海沿いの56号線を歩かなくてよかった。
 「清水大師」に11時54分に着く。ある年の夏、一人の娘巡礼がこの地を通りかかたとき、あまりの喉の渇きに意識を失い、倒れてしまった。するとそこへ弘法大師が現れて、傍らにあったシキミの木の根元を掘るように言って姿を消した。意識を取り戻した娘がシキミの根元を掘り起こしてみると、真清水が湧き出し、娘がこれを飲むと、持病の労咳がすっかり治ったという。
清水大師
 予定通り昼になったので、ここで朝コンビニで買ったおにぎりを食べることにしたが、ここは休憩する場所がない。へんろ小屋でもあるのでは?と思っていたのだが、祠があるだけだ。仕方がないので、祠の横にある岩の雨でぬれているところを避けながら座って食べた。ところがじっとしていると寒い。バタバタ食べて、まだ口をモギグモグさせながら、祠に向かって昼食を摂らせていただいたお礼を述べて早々に出発する。
 しばらくは平坦な道が続き、やがて下り坂になる。基本的に一本道なので道に迷うことはない。
 途中「ゴメン木戸」の説明板が立っている。この辺りは昭和20年代まで大草原で、明治の頃までは放牧がおこなわれており、石畳が築かれていたという。ここに木戸が設けられていて、人々は「ゴメンナシ」と言って通行したという。
ゴメン木戸
 460.1mの水準点があるすぐ横に、「接待松(ねぜり松)」の切株がある。ある日、病気で足の不自由な人が、箱車に乗って50人ほどの人々が大綱をかけ、引っ張り上げてもらっていた。丁度この地に差し掛かった時に、一陣のつむじ風が吹き荒れ、蛇のように曲がりくねった大松が箱車を押し潰すように思われ、思わず箱車から逃げ出そうとしたが、そのはずみで長年の足の病が治ったという。また弘法大師ゆかりの日には、地元の人たちがこの場所でお遍路さんに茶菓子の接待をしていたという。大松は昭和30年ごろに伐採され、現在では朽ちた切り株が残っているだけだ。この切株の前に石仏が2体置かれており、その一つには大正12年と刻まれている。
接待松
 その先でとても眺望の素晴らしい所があった。好天であれば最高のビューポイントだろうと思ったが、眺望がいいということは木々が茂っていないわけで、風がもろに吹き付けてきて寒いので、ゆっくり眺める余裕はなかった。
眺望
 「馬の背」と名づけられた稜線があるが、ここも左側に木が少なくて、そちらから吹く強風にあおられてしまった。木々がない所ではこのように風をもろに受けてしまう。
馬の背
 13時50分にようやく56号線に出る。ここで56号線の下のガードを通って芳原川に沿って進むが、今度は風を正面からまともに受けてしまう。思わず立ち止まるような強風が頻繁に吹いてくる。
 明日帰るという予定の日にこのような悪天候に見舞われるのは、徳島を歩いた時と同じだ。
 津島大橋の手前からシールに従って右折して進み、14時55分に今日の宿三好旅館に到着する。
 夜のニュースで言っていたが、今日宇和島では31mという台風並みの風が吹いたという。
 宿では岡山のお坊さんといわれる方と一緒になる。この方は私と同じ年齢の方で車で廻られており、今年だけで四国に10回来たといわれていた。
 この旅館の料理は豪華!鰻と伊勢エビが出ていた。どちらも私の大好物だ。同宿のお坊さんのお話では、ここではいつもこういった料理が出るという。 大満足の食事でした。

 本日の歩行時間   6時間57分。
 本日の歩数&距離 33822歩、26.1km。

旅の地図

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歩人
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