二回目の四国遍路を歩く

2013年11月19日(火) ~2015年02月22日(日)
総歩数:1678682歩 総距離:1146.8km

2015年01月19日(月)

龍光院~41番龍光寺~42番佛木寺~民宿とうべや

                 曇り

 
 前回歩き終えた龍光院を11時44分に出発する。
 宇和島の街中を進んでいくが、この辺りにも頻繁に遍路道を示す矢印札があって、地図を見なくても歩くことが出来る。
遍路道矢印
 しばらく行くと左手に元禄12年(1699)、享保11年(1726)、宝暦10年(1760)といった古い石仏を安置する祠がある。後世になってここに集められた感じだ。
元禄12年石仏
 街中を抜けると、左右に山が迫ってくる。その間の谷間を光満川が流れており、57号線はその川に沿って通っている。人家は川と道路の横に沿って一列に並ぶようにして建っている。57号線はそれなりに車は通っているものの、混雑して歩きにくいというほどではない。
 務田の信号のところに「四十壱番札所道」と刻まれた大正15年の道標が立っている。
四十壱番札所道
 ここから57号線から左へ分岐して進み、跨線橋を越えるが、右手に務田駅が見える。その先は田んぼの中の一本道で、今日は風が強く、さえぎるものがないので寒い!
 集落に入って進んでいくと右手に「へんろ道」と刻まれた年不詳の古い道標とその横に「四十二番龍光寺」と刻まれたまだ新しい道標が立っている。
四十二番龍光寺
 ここを右折して進むと左手に鳥居が立っている。龍光寺の山門はこの鳥居なのだ。
鳥居
 鳥居をくぐって進むと「41番札所龍光寺」がある。
 13時55分に到着する。 龍光寺は往時の神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場で、前述の通り山門は鳥居であり、この山門をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬がある。境内には狐とお地蔵さんの石像が仲良く並んでおり、仏と神が同居している。
龍光寺
 この寺の縁起によると、大同2年(807)に弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの白髪の老人があらわれ、「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて、忽然と姿を消した。大師は、この老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、その明神を勧請して稲荷明神像を彫造、堂宇を建てて安置した。このとき、本地仏とする十一面観世音菩薩と、脇侍として不動明王、毘沙門天も造像して一緒に安置し、「稲荷山龍光寺」と号して四国霊場の総鎮守の寺とされ、開創したと伝えられる。
 創建のころから神仏習合の寺であった龍光寺は、稲荷寺として信仰され維持されてきたが、明治新政府の廃仏毀釈令により旧本堂は「稲荷社」となった。新たに本堂が建立されて、ここに稲荷の本地仏であった十一面観世音菩薩像が本尊として安置され、その隣に弘法大師勧請の稲荷明神像も一緒に祀られて鎮座している。

 参拝を済ませて、佛木寺へ向かうが、この時道を間違えた。龍光寺の参道に入るところに、「四国の道」の道標が立っており、そこに「佛木寺」と刻まれた矢印があったので、てっきりこれが佛木寺への道案内だと思い込んでしまっていたのだ。そのため一旦参道をもとに戻って、この「四国の道」の矢印に沿って進んでいくと、その先にも同じ道標が立っているので、それに従って進んでしまった。ところが池のあるところに来た。どう見ても地図とは道が違うようだし、いつもある見慣れた遍路道を示す矢印も全くない。おかしいなと思いながらも進んでいくと池(途中でこの池は中山池だということが分かった)の周囲をぐるっと回りながら進み、池を抜けて舗装道に出た。ここにも道標が立っていて、それに従って更に進むと、すぐ先の四つ角にも道標が立っていて「佛木寺 1.9㎞」となっている。
佛木寺 1.9㎞
 ところが進む方向を示すはずの矢印がここではあらぬ方向を指していて、四つ角を右折するのか、直進するのかがさっぱり分からない。前回歩いた際は佛木寺へ行くのにこんなに手間取った記憶はなく、すんなり着いたことを憶えているので、明らかにおかしい。地元の方に道を聞こうにも誰も人がいない。しばらくウロウロしていると、軽トラックに乗ったお年寄りの方が来られたので、手を挙げると車を止めてくれた。道をお聞きすると、佛木寺は直進したところにあり、もうすぐ先だと教えてくれた。実際ここからすぐ近くだった。この「四国の道」というのは建設省(現国土交通省)が建てたもので、遍路道とかなりの部分重なっているが、場所によっては全く異なるところがある。このことがあったため、これから先も「四国の道」の道標はあちこちで見かけたが、何となく信じることが出来なくなってしまった。
 その先でおばあさんが二人おられたので、再度道を確認すると、間違いないと言ってくれ、おひとりの方が、「ちょっと待っていなさいよ」といわれて家に入り、財布を持って出てこられて、近くにあった自販機で「好きなものを取りなさい」といわれてお金を入れてくれた。暖かいコーヒーを一本いただくと、もう一本取りなさいといわれる。結局二本のコーヒーをお接待していただいた。「寒いのにご苦労様」という言葉が暖かいコーヒーと一緒に心に浸み込んだ。ありがとうございます。

 「42番札所佛木寺」に15時20分に到着する。(道を間違わずに遍路道を進むとはるかに短い時間で行くことが出来るはずです)。
 大同2年(807)のころ、弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会い、誘われるまま牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって、光を放っているのを目にした。よく見ると、これは唐から帰朝するときに、有縁の地が選ばれるようにと、三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠であった。大師は、この地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を彫造、眉間に宝珠を埋めて白毫とした。これを本尊として安置し、「一山仏木寺」と名づけたという。その後、寺は牛馬安全の守り仏、大日さまとして信仰をあつめ、鎌倉時代には宇和島領主・西園寺家の祈祷、菩提寺となるなど隆盛を誇った。
境内には家畜堂や四国霊場では珍しい茅葺の鐘楼憧があり、また安永4年(1775)の宝篋印塔が立っている。
仏木寺宝篋印塔

 ここから今日の宿である「とうべや」はすぐ近くにある。15時40分に到着する。
 ここは前回も泊ったところで、その時御主人が「コーイコイコイ」「コーイコイコイ」と声をかけると、狸が出てきて食事をしていたことを憶えていたので、今回も会えることを楽しみにしていたのだが、姿を見ることはできなかった。ご主人のお話では最近猪の被害がひどいので猟犬を使って駆除に乗り出したところ、狸も出てこなくなったそうだ。一時期は手渡しで食べるまでに懐いていて、かわいかったんだがなぁ、とご主人は少し残念そうだった。

 本日の歩行時間    3時間56分。
 本日の歩数&距離   20180歩、15.6km.。

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