二回目の四国遍路を歩く

2013年11月19日(火) ~2015年02月22日(日)
総歩数:1678682歩 総距離:1146.8km

2015年02月18日(水)

民宿岡田~66番雲辺寺~67番大興寺~68番神恵院~69番観音寺~70番本山寺~一富士旅館

                                      曇一時雨

 
 6時57分に出発する。もうこの時間には十分明るくなっている。前回の時と同じようにご主人とお嫁さんが見送ってくれた。福島の方は今日は観音寺泊のため、少しゆっくりして出発するということだった。
 10分ほど歩いていくと、右手に「雲辺寺遍路道入口」と書かれた看板が立っており、ここから左折して坂を登っていく。
雲辺寺遍路道
 右手に林和田集会所があり、ここから右へ急な坂道を登っていくと、道端に四十七丁石がある。急坂を登っていくので、すぐに汗が出てきて、ダウンを一枚脱ぐ。20分ほど坂を登っていくと、何と自転車がある。だれがここまで持ち上げてきたのだろう?どうやって?何のため?疑問が次々に湧く。
自転車
 丁石が沿道にあるが、距離はバラバラだし、順番が狂っているものもかなりある。また場所によっては倒木が道をふさいでいる場所もあったが、歩くうえでそれほど支障になることはなかった。
倒木
 8時11分に舗装された道に出る。舗装道は比較的平坦な道なので、ホッとするが、それまで急坂で汗をかいているので寒い!道端には所々にわずかだが雪が残っている箇所があった。地面も凍っているようで、歩くとパリパリという音がした。
 9時2分に「66番札所雲辺寺」に着く。標高911mと四国霊場の中では最も高所にあるので寒い。本堂の横には屋根から落ちたと思われる雪が残っていた。 ここは住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年(789)、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809~23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められたという。
雲辺寺
 天気が良ければ眺望がいいようだが、あいにくの霧で何も見えず、ロープウエイもこの時期はやっていないようでシャッターが下りていた。五百羅漢がズラッと並んでいる前を通って大興寺へ向かう。
五百羅漢
 ここから先はひたすら長い下り坂を下っていく。前回も思ったのだが、ここを逆打ちすると大変だろうなと今回も思いながら下っていくと、その逆打ちをされている方が登ってこられた。岡山から来られた方だったが、逆打ちは大変でしょうというと、いや、同じことですよ、とすまし顔で言われていた。
 急坂を下っていくので、次第に寒さが和らいできた。高度が100m下ると気温は0.6℃高くなるそうなので、急坂を一気に下っていくと、気温の変化が良くわかる。山を下り、舗装道に入ったところに「大興寺まで5.0㎞」の四国のみちの道標が立っている。10時37分にここを通る。
 右手に「白藤大師堂」があり、天保15年(1844)の宝篋印塔が立っている。
白藤大師堂
 沿道には相変わらず丁石が立っているが、山の中と違ってこのあたりでは、そのほとんどに前垂れがかけられている。どなたかが作られているのだろう。
丁石
 その先に文政4年(1821)の道標が立っているのだが、ごく最近破損したようで、まだ破片が周囲に散らばっていた。以前はこういったものに全く関心を持っていなかったのだが、街道歩きを始めて以降、沿道にあるこうした道標や石仏に興味を抱くようになってきている。これらは長い間街道を歩く人々をじっと眺めてきているのだ。形あるものは滅びるものかもしれないが、だからこそ大切に保存をしていきたいものだ。
文政4年
 大原自治会館の前に小祠があり、その横に宝暦12年(1762)の宝篋印塔、元治元年(1864)の常夜燈等が立っている。
宝暦12年
 遍路道を進んでいくと大興寺の裏側に出るようになっており、そこには「ここは参拝口ではありません。仁王門からお参りください」と書かれた標識が立っている。
大興寺の裏側
 お寺はすぐそこに見えるのだが、仕方がないので、ぐるっと回って仁王門から入り、階段を登って本堂へ向かう。
 ここの仁王門にある金剛力士立像は運慶の作と伝えられ、像高314センチ。鎌倉初期の作、八十八ヶ所中最大とされる。「大興寺」と記された扁額には文永4年(1267)の年号と「従三位藤原朝臣経朝」の裏書きがあるという。また仁王門のすぐ先に樹齢1200年余といわれるカヤの巨木が立っている。
大興寺1大興寺2

 「67番札所大興寺」には11時55分に着く。ここは天平14年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として現在地よりも約1キロ北西に建立され、延暦11年(792)大師の巡錫を仰ぎ、弘仁13年(823)嵯峨聖帝の勅により再興されたと伝えられている。しかしながら、戦国時代末、長宗我部元親の兵火により一部を残してことごとくを焼失、慶長年間(1596~1615)に再建されたが再び焼亡、本堂は寛保元年(1741)に建立されたという。
 現在の大興寺は真言宗の寺院であるが、往時真言二十四坊天台十二坊が甍を連ね、同じ境内で真言天台二宗が兼学したという珍しい来歴を持つ。そのためか天台宗の影響が大きく、本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、右側に天台宗第三祖智顗を祀る天台大師堂がある。私も最初間違って天台大師堂に参拝をしてしまった。
大興寺3
 参拝を済ませ、宿でお接待していただいたおにぎりを食べ、さて出発しようとしたときに、同じ宿だった福島の方にお会いした。この方は今日はこの近くの知り合いの宿に泊られるということだった。
 仁王門を出てすぐに左へ進むのが遍路道だ。途中で6号線に合流して進むが、特に見るものもなく淡々と歩いていく。ただ、今日は風が強く、何度も菅笠が飛ばされそうになる。
 14時15分に「68番札所神恵院」と「69番札所観音寺」に着く。神恵院も観音寺も琴弾公園内の琴弾山の中腹にある。ここは2つの札所が同じ境内に存在するとても珍しい霊場だ。開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれ、大宝3年(703)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀った。このとき、神宮寺として建てられた寺が起源とされ、大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、寺の名を「神恵院」としたという。その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移された。以降、「神恵院」は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として今に至っている。2002年に新しく建立された本堂は、コンクリート打ちっぱなしで白木と組み合わされた近代的な造りだ。
神恵院
 弘法大師は琴弾大明神が乗っていた神船は神功皇后とゆかりがあり、観音の化身であると感得したので、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣ならって中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。本堂は、金堂とも呼ばれて室町時代の建築で国指定重要文化財。朱塗りの柱が色鮮やかで、神恵院とは対照的だ。
観音寺
 ここから財田川沿いに歩いていると、突然激しい雨が降ってきた。もう少しで今日の歩きを終わるので、もう少し待ってくれと祈りながら先を急ぐと、祈りが通じたのか、雨は次第に小降りになってきた。 ひょっと前方の空を見上げると虹がかかっている。「お前の祈りを聞いてあげたよ」と言われたような感じだった。一昨日もそうだったが、今回の旅では雨が止むように祈ると、何故か天は私の言うことを聞いてくれて、雨が止むケースが多い、と思うのは私の思い上がりというものかな?  
虹
 15時47分に「70番札所本山寺」に着くが、この時は雨はほぼ止んでいた。ここの仁王門は八脚門で国指定重要文化財に指定されている。
仁王門
  ここは大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が開基。当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残っている。本堂は国宝で、一重寄棟造り、本瓦葺きの風格あふれる建物。正安2年(1300)建立の折衷様式で、外観は京都風、内部は奈良風の造りとなっている。天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれている。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれている。その後、「本山寺」と名を改めたという。
本山寺
 また、四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が立っている。大同4年(809)の建立だったが、損傷が激しく明治43年に再建されたという。
五重塔
 今日の宿、一富士旅館はお寺のすぐ前にある。客は私一人。女将さんはとてもいい人だ。

 本日の歩行時間   8時間50分。
 本日の歩数&距離  49417歩、31.2㎞。

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