二回目の四国遍路を歩く

2013年11月19日(火) ~2015年02月22日(日)
総歩数:1678682歩 総距離:1146.8km

2015年01月24日(土)

桃李庵~46番浄瑠璃寺~47番八坂寺~48番西林寺~49番浄土寺~50番繁多寺~51番石手寺~道後温泉

                                          晴れ
 
 朝食は6時からだったが、食べながらご主人のサラリーマン時代のことなど話をしていると面白くて、つい長居してしまい、7時10分に出発する。ただこのころになるともう明るくなっているので、暗いうちから歩きたくない私にとっては好都合だった。外に出ると寒い!標高620mの場所にあるだけに冷え込みはきつく、気温は-1.2℃だった。
 宿を出て左へ行くのが遍路道なのだが、現在は通れないそうなので、昨日歩いた33号線に合流して進む。
 その先で遍路道への分岐点にくる。ここにはまだ新しい道標で「南無大師遍照金剛」、「浄瑠璃寺まで8.2㎞」と刻まれた道標と「右 へんろ道」「左 松山道」と刻まれた古い道標が立っている。ここを7時41分に通る。
浄瑠璃寺まで
 三坂峠は上りはなく、下る一方だった。つまり三坂峠を上り詰めたところに久万高原があるということだ。
 下りはかなり急坂が続く。途中眺望が開けた場所があり、松山の町が一望できるが、かなりの標高があることが良くわかる。
眺望
 「鍋割坂」と刻まれた石碑が立っている。ここは急坂のため、行商の金物屋が商売用の鍋を石畳に落として割ったことから付いた名という伝承がある。7時52分にここを通る。
鍋割坂
 「久万街道」の案内版が立っている。それによると、明治25年に旧国道(33号線)が開通するまで、この道は松山と浮穴郡、高知を結ぶ重要な街道だったという。昔は高知への最大の難所で、三坂馬子唄にも「むごいもんぞや久万山馬子はヨー 三坂夜出て夜戻るヨー ハイハイ」と歌われ、往復に一昼夜かかっていたという。

 途中、休憩所があり、そこに「一ノ王子社跡」の説明書きがある。熊野古道を歩いた時に九十九王子があったことを思い出す。中世から近世にかけて石槌信仰に熊野信仰が結びついて、ここから石槌山頂までの道に王子が続いていたといわれている。8時19分にここを通る。
 やがて山を下って舗装された道に出ると、「坂本屋」がある。ここは明治末期から大正初期に建てられた遍路宿で昭和初期まで休息、宿泊の場としてにぎわっていたという。平成16年に修復されている。8時38分にここを通る。
坂本屋
 右手に「網掛け石」があり、左手には「あみかけ大師」というお堂がある。弘法大師が大きな石を網に入れて、オウク(担い棒)で担っていたところ、オウクが折れて山へ飛んで行ってしまった。落ちたところがオオクボ(松山市久谷町大久保)と言うようになり、また石の一つは下の川に落ち、もう一つがこの場所にある石といわれている。この石は表面に無数の網目が付いていることから「網掛け石」と言われていると説明されている。9時5分にここを通る。
網掛け石あみかけ大師

 今日は好天。雲一つない青空で気持ちがいい。
 9時51分に「46番札所浄瑠璃寺」に着く。ここは行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、和銅元年(708)に布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立した。白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺としたという。
浄瑠璃寺
 今日は回るお寺こそ多いものの、 距離は短く、予約した宿は15時がチェックインということで、あまり早く着いても困ると思って、のんびり、ゆっくり歩いていたが、これが意外と難しい。一定のリズムで歩かないと余計に疲れるのだ。そんなことを考えながら歩いていると、すぐ近くなのに、八坂寺への道を間違ってしまった。幸い大した距離ではなかったので、事なきを得たが気を付けなければ、と思った。
 10時40分に「47番札所八坂寺」に着く。ここは修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺だ。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697~707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。弘法大師がこの寺で修法したのは弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942~1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになったという。
八坂寺
 参道左手には鎌倉時代後期末と推定される宝篋印塔が立ってる。
宝篋印塔
 その先左手に「文殊院」がある。かわいい猫が籠に入れられていた。頭をなでてやるとニャーと鳴いていた。かわいい。
文殊院
 その先左手に「小村大師堂」(札始大師堂)がある。ここは衛門三郎が一夜、弘法大師の帰来を待ち、翌朝、木を削いで札を作り、自分の名を記して堂に納めたという伝承がある。これが納札の始まりと言われ、この堂を札始大師堂と呼ぶようになったという。11時32分にここを通る。
札始大師堂
 その先にコンビニがあったので、ここで昼食にする。
 重信川に架かる久谷大橋を渡っている時、右手はるかかなたに雪を被った山が見える。石槌山かな?と思ったが、わからなかった。
 12時28分に「48番札所西林寺」に着く。ここは聖武天皇(在位724~49)の天平13年(741)、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされたという。
西林寺
 遍路道を示す矢印に従って進んでいくと、右手に久米小学校があり、その先の突当りに文久2年(1862)の道標が立っており、更にその先にも明治と読むことが出来る道標が立っている。
道標1道標2

 13時25分に「49番札所浄土寺」に着く。ここは天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749~58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668~749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。本堂の厨子には国指定重要文化財である空也上人像が安置されているという。
浄土寺
 その先に日尾八幡宮があり、その前に嘉永7年(1854)の古い道標が立っている。
日尾八幡宮
 市内に入ってくると、道幅が狭く、歩道がない、しかも車の数は多いので歩きにくい。山の中の遍路道は誰も通っていなくて静かでいいのだが、アップダウンがきつい。なかなかうまくいかないものだと思いながら歩いていく。
 14時01分に「50番札所繁多寺」に着く。
 繁多寺
 ここは天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749~58)の勅願により、行基菩薩がおよそ90cmの薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられ、「光明寺」と号された。弘仁年間(810~24)、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留された際に「東山・繁多寺」と改め、霊場とされた。その後、寺は衰微するが伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興、弘安2年(1279)には後宇多天皇(在位1274~87)の勅命をうけ、この寺で聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷している。また、時宗の開祖・一遍上人(1239~89)が青年期に、太宰府から伊予に帰郷した際、有縁の寺に参籠して修行したという。
 住宅街の中の道を進む。くねくねとした道で車は少なくて静かだ。ここも随所に遍路道を示す札があるので、それにしたがって歩いていく。その先で40号線に合流すると、途端に車が多くなる。
 石手寺へ向かう参道は回廊形式になっていて、そこに色々なお店が並んでいる。ここは過去何度か来たことがあるので、この場所は記憶に残っている。
回廊形式
 14時43分に「51番札所石手寺」に着く。ここは神亀5年(728)に伊予の豪族、越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇(在位724~49)の勅願所となった。翌年の天平元年に行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊に祀って開基し、法相宗の「安養寺」と称した。「石手寺」と改称したのは、寛平四年(892)の右衛門三郎再来の説話によるとされる。ここの境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さで、それに寺宝を常時展示している宝物館を備えており、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院である。二王門は国宝で、高さ7m、間口は三間、横4m、文保2年(1318)の建立、二層入母屋造り本瓦葺き。
二王門
 重要文化財には本堂をはじめとして、
本堂
三重塔、鐘楼、
三重塔鐘楼

 があり、他に五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物と、「建長3年」(1251)の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘がある。大きなお寺で境内は数多くの参拝者で賑わっていた。

 今日の宿はここから少し先の道後温泉の中にあった。
15時31分に着く。

 本日の歩行時間  8時間21分。
 本日の歩数&距離 38666歩、27.5km。

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