四国遍路・同行三人を歩く 

2006年06月04日(日) ~2006年07月18日(火)
総歩数:1568725歩 総距離:1020km

2006年06月04日(日)

今回までの経過 (第一回遍路旅~第三回遍路旅)

 前頁で書きましたように突然思いつきで旅を始めましたので、弘法大師に関することも遍路旅に関することも全く何も勉強をしていません。本来ならばもっと勉強をして、それなりの知識を蓄えてから歩くものなのでしょうが、もともと勉強嫌いな私はなんの知識もなくただ歩き始めました。何も知らないから逆に白紙の状態で遍路旅に臨むことができる、身体で体感すればいいことと屁理屈をこねてはみたものの、所詮無知ということ。その状況は今回の歩きにおいても全く変化はありません。従いましてここに記されたことをお読みになられた方はここがおかしい、あれは違うと思われることも多いかと思いますが、これらのことをご勘案の上ご了承の程お願い申し上げます。

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なお、当初はGPSを持って歩いていなかったため、地図は後日手入力で作成しました。そのため実際に歩いた道とは異なる場所があったり、まだ始めたばかりだったため不慣れで、作図する際に間違ったりしている箇所がかなりあります。
そのため四国の地図を参照される場合は当HP内の「二回目の四国遍路を歩く」を参照してください。二回目はGPSを持って歩いており、その情報から地図を作図していますので、実際に歩いた情報が反映されています。
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第一回遍路

1991年9月22日
午前9時8分小倉駅を出発。鳴門公園に午後2時44分に着き、渦潮を見学しようと思ったが、渦のない時間だったので、午後5時20分の満潮まで公園でぶらぶらする。かなり手持ち無沙汰。結局あまり大きな渦は見ることができずに終わる。干潮時のほうが渦は大きく、大潮の時が最も渦が大きいとのこと。何も調べずに行き当たりばったりでの行動だったのでこんなことがよく起こる。鳴門にある民宿「うちの海」に泊まる。
1991年9月23日
午前5時55分、鳴門海峡の日の出を拝み、7時45分のバスで鳴門駅に向かう予定だったが、祭日で学校が休みなのでバスはないとのこと。やむを得ずタクシーで鳴門駅に向かう。 午前8時52分板東駅着。板東駅から歩いて10分で霊山寺に着く。
1番霊山寺
午前9時2分到着。売店があってかなりの人がいる。何を買えばいいのかわからないが、とりあえず納札200枚と納経帖を購入。白衣、菅笠は何となく恥ずかしくて買わず、杖のみ購入。お寺近くには数件の民宿。ここに宿泊をし、翌朝早くから出発する人が多いのだろう。午前9時42分出発。
2番極楽寺
午前9時51分到着。朱塗りの新しい門構えだったが、本堂はさすがに古く年輪を感じさせる。ちょうど水子供養が行われており、沢山の参拝者がおられ、整理のためガードマンが汗びっしょりになって一生懸命走り回っていた姿がなぜか印象の残っている。午前10時18分出発。
3番金泉寺
午前11時到着。2番から3番に向けて歩いている時に気がついた。食堂や店がない。飢餓状態に極端に弱い私は焦り始める。途中でやっと見つけた古いスーパーでパンとバナナを購入。最初に手にしたパンは賞味期限を過ぎていた!オイオイ。。コンビニや店はあって当たり前という感覚がここでは通用しないことに気がつく。やっと手にした貴重な食料。とりあえずお腹に入れて午前11時50分出発。
4番大日寺
午後1時15分到着。くもの巣がいっぱい張っている遍路道を歩いていると、昔をほうふつとさせるものに出会う。5番に行く途中、文化文政時代の作と彫られた道標があった。歴史を感じる。昔の人たちも同じものを目印にして歩いていたんだな。歩きながらなんとなくテンポができてきて快調に歩く。午後1時45分出発。
5番地蔵寺
到着午後2時10分。5番の近くに三軒の食堂があると聞いていたので、そこで本格的な昼食にする予定だったのだが、なんと祭日でお休み!やむを得ず近くにあったスーパーでまたパンを購入して食べる。歩くので無性に腹が減る。しかし今、改めて当時の記録をこうして読み返してみると食べることばかり書いている。ちょっと反省。長めの休憩後、午後3時34分出発。
6番安楽寺
到着午後4時40分。本日の宿泊場所である。大きくて立派な宿坊である。お寺の人に聞くと7番がすぐ近くだという。明日は帰宅するので少しでも今日のうちに回っておきたいと考え、疲れた!を連発する妻を引っ張って7番へいく。午後5時5分出発。
7番十楽寺
到着午後5時20分。さすがに足が棒のようだ。写真に写っている妻はどれも杖にすがりつくようにしてたっている。がんばれがんばれ!
1991年9月24日
午前7時38分出発。小雨がぱらついていたがひどい降りではなく、傘を差して歩く。豪雨の時の遍路旅は大変だろうなと思う。通し打ちをすれば途中で必ず雨にあうわけであり、その際の対策というのも必要だろうなと思ったことを憶えている。
8番熊谷寺
到着午前8時45分。フィルムが切れたため、買おうと思ったが、売っているところがない。お寺に聞いてかなり下にあるガソリンスタンドまで買いに行く。スタンドの店員はおばちゃんが一人いたのみだった。ここでは本堂の瓦を葺き替えており瓦の寄贈を進められたため記念に寄贈させていただく。午前9時35分出発。
9番法輪寺
到着午前10時5分。田んぼの中にあるお寺。ちょうど同じ県内の団体が参拝をしていた。特別知っている人たちではないのだが、なんとなく親近感を覚える。午前10時24分出発。
10番切幡寺
到着11時30分。333段ある山の中のお寺。今回の旅の最後のお寺である。11時50分に出発し八幡西というバス停に午後12時23分に到着。穴吹までバスで出て、穴吹からJRで阿波池田~岡山~小倉と乗り継いで帰る。小倉着午後5時44分。

第二回遍路

1993年4月9日
11番藤井寺
小倉~岡山~徳島~鴨島とJRを乗り継ぎ鴨島駅から藤井寺まで約3kmを歩く。
 朝早くに出たものの到着は夕方。納経所を閉めかけているところだったので、あわてて納経をすます。やはり四国は遠い。藤井寺のすぐ横にあるふじや旅館に泊まる。当初宿泊はしないといわれたが、夕食抜きを条件に宿泊のみ受けてもらう。ところが鴨島駅から電話をすると他にも宿泊客があるので夕食の準備ができるということなのでお願いする。
1993年4月10日
12番焼山寺
ふじやを午前7時15分に出発。藤井寺のすぐ横に12番焼山寺への遍路道入り口がある。
 遍路ころがしという名前が付いているように有名な難所。強脚5時間、平均6時間、弱脚8時間と記した道標が立っている。こういう数字を見せつけられると、よし!やってやろうじゃないか!とつい思ってしまう悪い癖が自分にはある。今回も同様で、ムラムラと挑戦魂が沸き起こってきた。ついてくる妻にとっては迷惑以外の何ものでもなかっただろうなと今にして思う。長戸庵に立ち寄り「らくがき帳」に一筆書き込む。途中で「クマさん」と呼ばれている人が生活をしているということを聞いていたので会ってみたかったが、会えずじまいだった。ちょっと残念。一本松と呼ばれる山の上に大きな弘法大師の銅像がある。昔のこと、どのような手段でここまでこの銅像を引き上げたのだろうか?大いに疑問。なんども山を登って、下りて、また登ってを繰り返す。さすがに難所。途中、昔の行き倒れの人を葬ったのではないかと思われるお墓とおぼしきものが随所に散見された。午後12時15分に無事焼山寺に到着。丁度5時間。健脚を証明。岐阜の若夫婦とふじやで一緒になり、歩きは別々だったが下山は一緒にする。その後この夫婦とはしばらく年賀状のやり取りを続けることになる。下山後徳島まで出て一泊。疲れた妻はホテルでマッサージを受ける。よくがんばったものだ。

第三回遍路

1994年3月19日
午前7時46分小倉を出発。岡山~徳島~府中とJRを乗り継ぎ府中(コウと読む変わった駅名)に午後12時51分到着。三回目ともなると四国の地名も頭に入り、なんとなく親近感が沸いてくる。順番に歩いているときは道標が頻繁にあってそれにしたがって歩いていけば道に迷うことはなかったが、今回のように途中の駅からのスタートの場合、うまく流れに乗ることができず一苦労。途中何度も道を聞きながら歩く。16番観音寺や17番井戸寺のほうが府中駅に近かったが、あえて順番どおりに歩くことにし、駅から遠くにある13番大日寺よりスタートする。A型の面目約如というところか。
13番大日寺
今回の旅から掛け軸にサインをしていただくことにする。最初から購入しておけばよかったのだが、スタートの時はあまり関心がなかった。ところが旅を続けるうちにだんだん気持ちがのめり込んでいったのだろう。欲しくなってしまったのだ。当時のメモには、「1番から12番までは、またいつかいただくこともあるだろう」と記されている。もう一度、リタイアした後にでも二人で今度は通し打ちをしようと漠然と思っていたのだ。しかし一緒に行った妻はもういない。人間なんていつどうなるかわからない。だからこそ今を大切にしなくてはと思う。
14番常楽寺
15番国分寺
16番観音寺
17番井戸寺
13番から17番までは街中のそれも近辺に固まって建っており、一気に回ることができた。次々にお寺があるので感覚が麻痺するのか、時間も感想もアルバムには記入されていない。
井戸寺に宿泊する。早朝のお寺の写真が残っているが、午前7時というのに、もう境内は白い衣装の団体客で一杯と記されている。
1994年3月20日
18番恩山寺
17番井戸寺から小松島市にある18番恩山寺まで24.6km。かなりの長丁場。しかも街中を歩くため、標識がどこにも見当たらない。仕方がないので途中にあった交番に入って道を教えてもらった。考えてみれば地図なしてこの距離を歩くなんて無茶。これまでの二回がうまくいったので何も考えていなかったことがここで露呈。交番ではおまわりさんが丁寧に地図を見ながら説明してくれたが、やおら机の下にあったその地図を取り出して、これをあげるよと言ってくださった。何故かその地図かなり濡れていた。お茶でもこぼしたのかな?と思ったが、ありがたくいただく。ようやく地図を入手して少し方向感覚が戻ってくる。距離は長かったが、平地ということもあって案外すんなりと18番へ到着する。境内に野良とおぼしき犬がぐったりとして横たわっていたので、お腹がすいているのだろうと勝手に解釈し、たこ焼きを買って食べさせる。たこ焼きは相当に熱かったようで食べ難そうにしていたが、それでも喜んで(?)食べていた。お寺下にあった食堂に入り食事をするが「先達認可証」なるものが掲げられていた。いかにもいい人という感じのご主人は丸坊主だった。
18番立江寺
今回の旅の最後のお寺。時間によっては徳島で泊まることを考えていたが、帰ることができる時間だったため、お寺から300mのところにある立江駅から帰途に着く。アルバムの最後に三回目遍路の旅も無事に終わる。と書かれている。まさかこれが二人で来る最後になろうとはそのときは夢にも思っていなかった。

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん